大空眞弓&音無美紀子の現在は?徹子の部屋
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最終更新日:2019/03/10
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いつも明るい大空眞弓に助けられ励まされてきたという音無美紀子。
子育てに悩んだ時、大空眞弓が相談にのってくれたという、心温まるエピソードを明かします。
また、2人は共にがん闘病を経験しています。
音無美紀子は乳がんの手術後、精神的に落ち込んだ状態になった過去を告白します。
大空眞弓は9度のがんを経験、昨年の番組出演時も実はがん手術の直後だったことを明かします。
音無美紀子が母子手帳の基準からすると息子の発達が遅れていると思ったときに、大空真弓が家に来て、「昨日より今日が発展しているのならいいじゃないの!!誰がこんなもの書いたの!!」といって励まされたそうです。
ほか、音無さんが行っている震災復興支援活動、“歌声喫茶”の秘蔵映像も。
大空真弓の村井國夫の第一印象は良くなかった
大空真弓は村井國夫は最初見たときにいい加減な男だと思ったとか。
しかとしたりして意地悪したとか。
女の子を誘い歩くような気がしました。
音無美紀子の現在まで
音無美紀子は1949年12月26日 生まれの68歳で、夫の村井國夫は1944年9月20日 生まれの73歳です。
17才の時に幼なじみの地井武男の勧めで劇団に入りました。
「お登せ」のヒロイン役で一躍有名になりました。
石井福子のドラマで大空真弓と共演しました。
1975年に村井国夫と結婚し娘 村井麻友美と息子の村井健太郎がいます。
難病を患い統一教会に入信、息子の難病が治ると今度は自身が乳がんで患い、うつ病になりました。
娘麻友美35才は女優として活動しています。
38歳の時に乳がんを患い全摘し、その後はうつ病にも悩まされました。
下の子が2才でした。
生きる意欲を無くして死にたいと思ったことも何度かあったが、失意のどん底にいる時支えてくれた家族、そして健康の大切さを知ったといいます。
2011年12月、東日本大震災支援活動「音無美紀子の歌声喫茶」を立ち上げ、被災地でチャリティ公演などを行っている。
音無美紀子の歌声喫茶
「音無美紀子の歌声喫茶」は、2011年12月から全国各地で開いてい2018年でて7年目を迎えます。
被災地をはじめ、全国へ歌声喫茶の出張公演を月1回のペースで行っています。
用意した150曲ほどから、リクエストしてもらってアコーディオンやピアノ伴奏を交えて歌います。
半分は、東日本大震災の被災地で。
半分は、その資金集めのため、東京を中心に全国各地回ってきました。
夫の村井國夫、娘の村井麻友美、俳優の太川陽介、タレントの清水よしこ等もスケジュールの都合がつけば参加しています。
音無美紀子の乳がんとの闘い
1987年、乳がんが見つかり、1988年に全摘手術を受けました。
手術当時、長女はまだ6歳でした子どもたちのためにも、乳がんを克服しようと思いました。
その後、病気を隠し続けていたことなどが引き金になり抑鬱状態になりました。
夫の村井國夫は「もうちょっと生き見ようよ」といって何度も励ましてくれたそうです。
最初は5年から始まって最後は「1年あれば僕は育児の事をなんでも覚えるから」といったそうです。
約半年後に回復し、女優業に復帰しました。
村井國夫はチマががんになったことで謙虚さを知り、自分の傲慢さなんかも知って生まれ変わったと言います。
2004年5月、村井さんとの共著で『妻の乳房「乳がん」と歩いた二人の十六年』(光文社)を出版しました。
一連の闘病生活を経て夫・村井國夫の浮気癖はなくなったそうです。
大空真弓の現在まで
大空真弓は1940年3月10日 生まれの78歳です。
18歳の時に歌舞伎座の前でスカウトされました。
「ドラマ愛と死を見つめて」で一躍有名になりました。
2003年にゲスト出演した『徹子の部屋』で初めて癌に罹患していることを公表しました。
58才の時に乳がんにかかったのです。
全部取ってしまったといいます。
それから9回もがんにかかったそうです。
毎年9月頃に数日はスケジュールを完全にオフにして、癌検診を受けているといいます。
抗がん剤や放射線受けても毛も抜けないとか。
俳優の勝呂誉と結婚し1児をもうけましたが、後に離婚しました。
息子の元博さんは看護師さんと結婚したそうです。
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