クミコの徹子の部屋のテーマは人生?
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シャンソン歌手としてもジャンルを問わない歌手としても活躍中のクミコが2018年4月12日の徹子の部屋にゲスト出演します。
現在63才になるクミコは90歳になる両親の介護をしながら歌手活動をしているそうです。
現在はある詩集を元にした歌を歌っているクミコ。
その詩集とはアメリカの女性詩人が1989年に自身の息子を亡くした時に書いた詩です。
人生を深く感じる徹子の部屋になりそうです。
父の言った言葉が当たり前のように思っていた
クミコの父は戦争中自分のしたいことができなかったから
何でも好きなことをおやりなさいと常々クミコに言っていました。
「好きなことをしなければ人生の意味がない」というようなことをお風呂に入った時など行っていたので
クミコは「それを当たり前のことのように思っていた」そうです。
それでもシャンソンだけでは食べれなかった時代には酒場でピアノを弾き語で糊口を凌いていました。
夜ごとのお金をいただく感じで暮らしていたといいます。
「自分って困難でいいのかしらといつも思いながら生きていた気がする」とクミコ
2010年に紅白歌合戦に出場した時は
最初で最後と思い130万円のドレスを着て出演したそうです。
クミコは2002年発売の「わが麗しき恋物語」(作詞:覚和歌子)が、ラジオ放送から火がつき人気が沸騰。
「わが麗しき恋物語」はフランスのシャンソン歌手Barbaraが作曲して1967年にMa Plus Belle Histoire d’Amourという題名でリリースした曲です。
和訳の作詞は覚和歌子ですが、原曲の詞の内容とはかなり違うそうです。
覚和歌子の詞には人の一生がえがかれているのですが
クミコの歌で聞くと大泣きする人が続出するようです。
この2002年発売の「わが麗しき恋物語」(作詞:覚和歌子)は、ラジオ放送から火がつき人気が沸騰しました。
同年年テレビ朝日 スーパーJチャンネル 特集では
「聴くものすべてが涙する 誰もが涙する凄い歌手がいる」ということで紹介されました。
番組では専門家にその理由を調べてもらいました。
・人の気持ちを捉えるような発音が非常に上手
・ビブラートを巧みに使っている
・ビブラート右上がりに変化するのが特徴
と分析されています。
この歌には「人生」という歌詞が繰り返される。
でもぜんぜん重くない。
だからよけい沁みる。
唄いはじめた16年前よりも沁みる。
私の美しい物語。
これがこのシャンソンの直訳タイトル。それを「わが麗しき恋物語」に。
bell。
この言葉を「美しい」にせず「麗しい」としたのは、先人の深さだろう。
なるほど「美しい」にせず「麗しい」の違いとは、深みの違いでしょうか。
あと詞の中では最後の「人生って何て 愚かなものなの あとになってわかる」という言葉が
人間の愚かさを言い表しているようで身に沁みますね。
あなたも涙腺をたまには刺激してみましょう。
「わが麗しき恋物語」
クミコの宇崎竜童のカバー曲がスゴイ
クミコのシャンソンを聞いて歌唱力の凄さがわかるのですが、
ポップスを聞きなれている人にはこちらのこの一曲のほうがわかりやすいですね。
クミコのと宇崎竜童の「身も心も」もです
カバー曲中でも 最高の名演のひとつですね。
作曲した宇崎竜童 自身が歌わずに ギター伴奏しているのですから
彼もクミコの歌唱力に惚れたのでしょう。
ちなみに此処の項は番組とは無関係です。
9.11同時多発テロで10歳の我が子を亡くなった事を偲んだ母の詩「最後だとわかっていたなら」
2018年3月7日リリースのシングル。
アメリカの女性詩人が1989年に自身の息子を亡くした時に書いた詩の和訳をベースに詞を作り、
都志見隆が作詞構成と作曲を担当。
“愛する人の死”をテーマに、今を生きることの大切さを歌った楽曲だ。
クミコ「最後だとわかっていたなら」レコーディング
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