徹子の部屋・こまどり姉妹の浅草巡り
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2018年10月25日の徹子の部屋はこまどり姉妹がゲストです。
こまどり姉妹は 1938年2月16日の生まれですから今年で80才になります。
正に波乱万丈の月日を生きながらえてこられた姉妹です。
80歳の双子デュオ・こまどり姉妹の若さの秘訣とは? 美空ひばりさんへの感謝や闘病など語る 『徹子の部屋』 https://t.co/T9UYZ1GSjE #こまどり姉妹 #黒柳徹子 #徹子の部屋 pic.twitter.com/1SEvQv77nb
— music.jpニュース (@musicjpnews_mti) 2018年10月24日
山谷はこまどり姉妹の思い出の場所で、1951年(昭和26年)13歳で上京してわずか4畳半の山谷の簡易宿泊所で暮らし、父親に連れられ毎晩浅草で流しを行い一家を支えたといいます。
「山谷」という住所は現在なくて、今では「清川」「日本堤」「東浅草」という住所になっています。
スカウトを受け、1959年(昭和34年)21歳で、コロムビアに入社し「浅草姉妹」でデビューしました。
デビュー当時の芸名は「並木姉妹」でしたがまもなく新たな芸名を一般公募、美空ひばりさんに憧れていた2人が「ぜひ同じような鳥の名前を」という事で「こまどり姉妹」という名が選ばれました。
その甲斐あってか、ひばりさんには色々とお世話になったと語ります。
1961年(昭和36年)、NHK紅白歌合戦に初出場してからは7年連続で出場しました。
その後不幸が続き、大きな借金を抱えたまま1973年(昭和48年)に一時芸能界から離れましたが、
1976年(昭和51年)に「思い出のメロディー」へ出演、時折懐メロ番組出演するなど徐々に活動を再開させ、1984年(昭和59年)、久々の新曲「浪花節だよ人生は」で再スタートを切りました。
2008年(平成20年)には第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞しました。
今回はこまどり姉妹が第二の地元・浅草を案内してくれ、若さの秘訣を特別に見せてくれました。それは一体…!?
こまどり姉妹の浅草時代
こまどり姉妹は10代の頃は浅草で流しをしていました。
毎晩浅草で流しを行い一家を支えたといいます。
こまどり姉妹思い出の場所は立ち食い寿司「駒寿司」ですがここはもう大将がケガをして以来寿司は握っていません。
駒寿司は極上のネタが一貫60円から頂ける立ち食いのお店で、こまどり姉妹にとって極貧生活の中 立ち食い寿司が生きる希望を与えてくれていたという店です。
山谷で大人気のけんちん汁専門店「大倉屋」です。
当時貧乏な2人の栄養を支えていたのは1杯10円で売られていた炊き出しのすいとんでした。
その後、流しからお座敷で余興をするようになり、お金を儲けて父の為に家を建てたといいます。
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