仲代達矢の徹子の部屋・名優・名女優たちとの思い出とは
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2018年10月12日の徹子の部屋は俳優・仲代達矢がゲストです。
1932年12月13日生まれの仲代達矢はデビューから64年、今年85才になります。
これまで多くの映画や舞台に出演してきた仲代達矢が、特に印象深い名優・名女優たちとの思い出を語ります。
丹波哲郎の思い出
丹波哲郎は2006年9月24日に(享年84)肺炎でなくなりました。
丹波家は薬師として名門の家柄で父親、親戚のほとんどが東京大学出身で家は超裕福でした。
丹波哲郎は4人きょうだいの末っ子(兄2人、姉)でした。
終戦後、GHQ司令部に通訳として採用されましたが、英語は話せなかったのでハワイの日系2世に通訳をやらせて地下室で博打三昧でした。
英語で何か聞かれそうになると逃げまわった。
このエピソードが丹波哲郎の生き方を象徴しています。
豪放磊落、いい加減なのです。
俳優になっても丹波哲郎は「スターは一番遅く来るもんだ」と撮影にいつも遅刻していましたが、仲代達也はその豪快な人がらも魅力的だったと語ります。
萬屋錦之介の思い出
さんと祇園で大喧嘩をした
当時はほかの俳優さんとのケンカもあったようですが。
「単なるケンカじゃなくて、基本的には演技論ですよ。
仲代達也は新劇、萬屋錦之介は歌舞伎から、勝(新太郎)さんは三味線の方から出てきました。
三船敏郎は本当の映画畑です。
そのころは映画俳優、歌舞伎俳優、新劇俳優って区別されていました。
だから『新劇はこれでいいのか』『歌舞伎はそれでいいのか』ってことで、飲んでいるうちにケンカになっちゃう時代でした。
「こだわるんですよ。こだわりなんです。例えば、萬屋錦之介とウチとでケンカして、じゃあ仲良くしようとなって(京都の)祇園に飲み行く。
そしたら、また祇園で(ケンカが)始まるんですよ。とにかくこだわるんです」仲代達也
仲代達矢
都立千歳高校定時制卒業後、俳優座養成所を経て55年に俳優座入りました。
映画デビューは黒澤明監督の「七人の侍」(54年)の浪人役でした。
以降も舞台と映画で活躍し、代表作は「人間の條件」「用心棒」「大菩薩峠」「「影武者」「乱」「鬼龍院花子の生涯」「不毛地帯」など。
75年から「無名塾」を主宰し、新人俳優養成に乗り出します。
86年に紫綬褒章、2003年に勲四等旭日小綬章を受章。
07年には文化功労者となりました。
高峰秀子の思い出
2010年12月28日に享年86才でなくなりました。
劇中、高峰秀子演じるヒロインを殴るシーンがありました。
監督の木下からは「仲代くん、思い切ってぶん殴って。あの女、憎たらしいでしょ?」と言われました。
一方で、高峰秀子からは「仲代くんって力が強いのね。芝居はヘタだけど」と言われました。
「舞台出身の私に映画の難しさを教えてくれた先生。いま見ても、つくづくうまいなと思います」と仲代達也
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