矢部太郎&木下ほうかの徹子の部屋・大家さんへの思いとは
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最終更新日:2018/10/03
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2018年10月3日の徹子の部屋は矢部太郎&木下ほうかが出演します。
今、世間でとても話題になっている漫画『大家さんと僕』は
累計70万部を突破
しました。
俳優・木下ほうかは芸人・カラテカの矢部太郎と、友人でほぼ毎日交流があって漫画作りに大きく貢献しました。
矢部は『大家さんと僕』で“手塚治虫文化賞 短編賞”を受賞しました。
想定外の人気に驚いているが、全ては大家さんのおかげと話します。
その
大家さんが今年他界されました。
今日は「徹子の部屋」に矢部太郎さんと木下ほうかさんが出演✨徹子さんとどんな話をされるのか楽しみにしています✨ https://t.co/dAhR499F3z
— kei (@KeiKei31573651) 2018年10月2日
生前、大家さんからもらった手紙を読みつつ、大家さんへの思いを涙で語ります。
一方、木下さんの恩人、俳優・津川雅彦さんも今年8月に他界しました。
在りし日の貴重写真とともに津川さんへの感謝を語ります。
木下ほうか
1964年1月24日生まれの54才、木下鳳華 「鳳華」という名前は祖父が命名したとか。
かつては吉本新喜劇座員を経て、マツ・カンパニーに在籍していました。
矢部太郎とは家が近所でお互いの自宅を行き来する仲ですが、
最近は人気漫画家になった矢部が全然会ってくれないと不満を漏らしています。
2005年津川の映画監督をした時にオーディションも面接もなく
無名の木下を抜擢してくれました。
いらい津川の作品はすべて出してくれました。
プライベートでも勉強会を含め呼んでくれたそうです。
津川は「俳優はモット物を知っていなければならない」と常々言っていたそうです。
大変お世話になった人とか。
黒柳徹子とっても一番親しい人だったそうです。
献血は趣味で51回行っているとか。
矢部太郎は体重が少なくてできなかったそうです。
骨髄バンクも登録していたら5年たって適合者が現れました。
迷ったけど実施したら1年後相手夫婦からお礼の手紙をもらってその時やって良かったなと思ったそうです。
大家さんと僕
大家さんと僕、凄い素敵な、本です
矢部太郎さんは、絵も素朴で、そこが、又いいとても心暖まる本です
是非、読んで下さい🤗。 pic.twitter.com/hooSxpTjF1— ビーバー (@tV4GinI4m0okreS) 2018年9月28日
『大家さんと僕』はほのぼのとした日常の風景やほっとする間合い、ゆったりとした会話が心に響いて人気を得ています。
手塚治虫文化賞短編賞を受賞して人気が爆発して累計発行部数70万部を超えるメガヒットを記録しました。
受賞式典で矢部は「僕はいま40歳で、38歳のときに漫画を描き始めました。38歳で漫画家になると言ったら、普通は周囲が全力で止めると思うのですが、大家さんがいつも、『矢部さんはいいわね、まだまだお若くて何でもできて。これからが楽しみですね』と言ってくださっていた。ずっと言ってくださるので、本当に若いような気がしてきて、本当に何でもできるような気がしてきた」と感謝し「これまで全力で漫画を読んでいたこととか、芸人として仕事をして創作に関わってきたこととか、なんだかすべては無駄ではなく、繋がっている気がしています」としみじみと語っています。
『大家さんと僕』は80代の大家さんと矢部太郎との交流を描いた漫画です。
親さんは上品な方で挨拶がいつも「ごきげんよう」といってきました。
いつも矢部太郎はおおやさんのことを素敵だなと思っていました。
大家さんはスゴイ幸せ感のある人でした。
まんがを最初に見せたのは木下ほうかさんでした。
お世辞言わない人なので、いいだろうと思って見てもらいました。
木下ほうかはこんなに売れると思っていなかったそうです。
大家さんからの差し入れのお皿がいいものなので
返すともういらないからと言うので矢部太郎のところにはたくさんたまりました。
番組の中の実演でiPadで黒柳徹子の顔漫画を画きました。
漫画は大家さんが「矢部さんはいつも若くていいわねと」と言って元気づけてくれるので
何か始めようということで画き始めました。
大家さんがなくなった
人生を激変させた思い出は、大家さんとの知覧旅行とか。
鹿児島の知覧は太平洋戦争で特攻隊の最前線基地だった場所です。
戦争記念館を見学し、大家さんから
「矢部さんはまだ若いから何でもできるわよ」と言われ、「大家さんと僕」を描き始めたといいます。
漫画でただ一つ大家さんから注文を付けられたのは
「ここから千機飛びだって一気も戻ってこれなかった」
と付け足してくださいといわれたことでした。
でも余白が無くてかけませんでした。
なので機会があるごとに説明しています。
矢部太郎は1階に大家さんが住んでいた二世帯住宅のような物件に住んでいます。
大家さんと仲が良くて大家さんが旬の野菜をよくくれたとか。
大家さんとよく一緒に食事に行ったり、温泉旅行へ行ったりしました。
大家さんがなくなったので「大家さんと僕」は終わりにしました。
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