市川右團次&右近親子の徹子の部屋・親子二代で歩む歌舞伎の道
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最終更新日:2018/09/20
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2018年9月12日の徹子の部屋は市川右團次&市川右近親子がゲストです。
昨年親子同時襲名が話題になりました。
市川右近から“三代目市川右團次”を襲名し、息子・タケル君が“二代目市川右近”を襲名しました。
そのきっかけは市川海老蔵で2008年に歌舞伎座で楽屋でやってきた海老蔵から右團次という名前が市川宗家にありますけど
どうですかと声をかけてきたそうです。
勧めた理由は「右團次」が関西の名跡で大阪生まれだった事、2代目猿翁が得意としていた外連演出のパイオニアでした。
その弟子なので丁度いいだろうということでした。
3つ目の理由は市川右近と市川右團次は右で繋がっているというのが理由でした。
市川右團次は日本舞踊の家元に生まれながら歌舞伎役者を夢みて中学1年生で単身上京し、市川猿翁さんの家で世話になっていました。
当時住んでいたアパートは師匠が所有する赤坂の「コト荘」。
住人変わり者揃いで、隣人は大型ナイトクラブ・ミカドのNo.1ホステス。
1号室は師匠の祖父の未亡人が、3号室は中華料理店のご隠居が、2階には銀座のママさんが住んでいました。
市川右團次の父は日舞飛鳥流家元で日本舞踊をショービジネスとして成立させるため、企業パーティーで日本舞踊を披露していました。
妹の左近は今も日本舞踊を続けており、飛鳥流三代目家元の飛鳥左近として活動しています。
市川右團次
1963年11月26日生まれの55才。
8才の6月に初舞台を踏んで3代目猿之助、2代目猿翁にあこがれて歌舞伎俳優になろうと思ったとか。
慶応大学に受かったのは未だに信じられないといいますが慶応大学法学部政治学科 卒業します。
父親は日本舞踊家の飛鳥峯王(日舞飛鳥流家元)です。
市川猿之助は歌舞伎の師匠で11才中1の時に弟子入りしました。
心細かったと言います。
慶應大学時代は週5でディスコ通いをしていました。当時の異名は「ディスコキング」
20歳の頃にパリでロレックスのサブマリーナを購入し34年使い続けています。
17年に3代目市川右團次を襲名しました。
活躍は歌舞伎だけにとどまらず、ドラマ「陸王」のシューフィッター役でも話題になった。
舞台俳優ブログランキングではアクセス数第1位を獲得。
暇さえあれば写真を投稿しまくっているそうです。
10月に大阪で襲名披露興行をします。
10月2日~26日 大阪松竹座
市川右近
市川右近は現在、小学2年生の8歳です。
平成29年1月に「雙生(ふたご)隅田川」で初舞台を踏みました。
劇中、宙乗りを立派に勤め、また愛らしい容姿も評判になりました。
2018年の今年、歌舞伎座(東京都中央区)の「八月納涼歌舞伎」(8月9日開幕)で、父親の市川右團次と“地獄”で親子共演を果しました。
現在、小学2年生で、この舞台出演は昨年11月のスーパー歌舞伎II(セカンド)「ワンピース」のチョッパー役以来です。
今一番やりたい役は義経千本桜の狐忠信とか。
成人しないとできない役ですが、その時は黒柳徹子はみにいくからと言ってました。
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