初代コロンビアローズの思いでは?徹子の部屋
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最終更新日:2018/08/30
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2018年8月30日の徹子の部屋は初代コロンビアローズの松本光世がゲストです。
番組では黒柳徹子とラジオ・テレビ創世記の思い出を語るとともに、61年前のヒット曲『東京のバスガール』を披露します。
コロンビアローズは1951年、「第2回日本コロムビア全国歌謡コンクール」で優勝し、日本コロムビアに入社しました。
昭和8年、松原操が覆面歌手「ミス・コロムビア」としてデビューし松竹映画『十九の春』の主題歌を大ヒットさせ、人気を博しました。
その事例を参考にして芸名のコロンビアローズは「戦後初の覆面歌手」として会社の宣伝戦略からつけられたものです。
会社名と第二次大戦中に米軍兵士から“東京ローズ”と呼ばれた女性アナウンサーの名をヒントに付けられました。
【fuji雑記録】『元祖仮面女子』
仮面というと正体を隠したり、
別人に変身したりと、昔から用いられてきた。
ある雰囲気を演出できる。
今は「仮面女子」が人気ありますが、
初代コロンビアローズさんがデビュー(1952年)
半年程、謎の歌手として仮面を付けていた。
(今も活動中) pic.twitter.com/Y5pLXYlUZP— fujitan0077 (@fujitan0077) 2017年1月16日
「渡り鳥いつ帰る」「東京のバスガール」などのヒットを連発し、ステージ、映画、テレビ、ラジオと幅広く活躍しました。
番組では当時の「渡り鳥いつ帰る」「東京のバスガール」「どうせひろった恋だもの」「プリンセスワルツ」などを聞きました。
出場歌手が前回の32組から一気に50組に増やされ放送時間も40分延長された1956年の紅白歌合戦に「娘艶歌師」で初出場します。
黒柳徹子が市場最年少で紅白の司会をした年です。
以後1960年まで連続出場を果たし、第一線で活躍していましたが、1961年に病気で突然の引退をします。
その後、1964年、日本コロムビア社員の松本巌と結婚し、二人の娘に恵まれました。
1979年、芸能界に復帰し、以後、主婦業に影響の無い範囲で活躍を続けている。
2005年、一般財団法人・古賀政男音楽文化振興財団より日本大衆音楽の発展に貢献した功績を顕彰され、「大衆音楽の殿堂」入りしました。
2012年に歌手デビューから60年を迎え5月22日放映のNHK歌謡コンサートに出演し、
紺の制服のバスガール姿で「東京のバスガール」を披露し、その間奏では東京タワーと東京スカイツリーを紹介するというバスガイドを行ってます。
2013年11月15日放送の「爆報! THE フライデー」にVTR出演しました。
80歳で車を乗り回し、遠方の歌謡教室まで自ら運転して教えに行っているのが放送されています。
車で2時間自分で運転していくそうです。
音に浸っていると全部忘れることができるとか。
2015年7月17日放送の同番組では後輩のこまどり姉妹と鎌倉で葉山牛を堪能している模様が放送されました。
現在は2人の娘と一緒に暮らしてます。お弁当も作ってあげているそうです。
趣味はドライブで千葉と埼玉で歌謡教室「ローズ会」を月に2回開催しています。
健康の秘訣は週5回のお肉とか。
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