宝田明が徹子の部屋で現在を語る
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最終更新日:2018/06/19
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2018年6月19日の徹子の部屋のゲストは宝田明です。
現在84才になる宝田明は現役で仕事をしています。
2018年の今年は映画『大仏廻国』に出演しています。
本日4月29日は宝田明さんの誕生日!
— 映画『大仏廻国 』 The Great Buddha Arrival (@daibutsukaikoku) 2018年4月29日
長きにわたり私たちを魅了しつづけるオーラは素晴らしいです!
映画『大仏廻国』でも魅力あふれる登場をします!
お楽しみに!#大仏廻国 #宝田明 pic.twitter.com/6j5Gk0t4KF
35才の時に撮影中に右脚に大ケガを追った後遺症が今もあるそうですが、
自宅の3階にある事務所まで33段ある階段を1日平均4~5回往復することで足腰の筋肉が鍛えられているとか。
脚が切断が必要となるような大けがをしたようです。
1997年12月の63才の時には心臓発作で倒れて入院して、持病の狭心症の手術を受けています。
11時間の大手術でした。
若い頃は銀座で豪遊を重ねたようですからね。
2008年の74才の時には東京都中野区の首都高中央環状線内回りで、
制限速度を64キロ上回る時速124キロで走行して速度違反取締り装置に記録されてマスコミの話題になりました。
前の仕事が遅れたので暴走したのです。
2017年の夏には、エスカレーターで転倒し額に19針の大ケガをしたそうです。
宝物は9638という数字が刻まれた“あの人”ゆかりの品といいますが、トロフィーでしょうか。
「世界に3つしかない宝物」とは何か気になりますね。
それにしても
子供の頃ソ連兵に銃弾を受けて大けがをするなど、波乱盤上の人生を過ごされている
宝田明な元気の姿が見られるのは何よりです。
宝田明プロフィール
日本映画の黄金期である昭和30年代の、東宝を代表する二枚目スター。
1953年に、東宝ニューフェイス第6期生に合格し、俳優生活が始まりました。
しかし極貧生活が続き、同期の岡田眞澄と、一杯のラーメンを右と左から、分け合って食べたとか。
1954年、特撮映画『ゴジラ』で初主演します。
1964年に文部省芸術祭奨励賞、1972年にはゴールデンアロー賞を受賞します。
ミュージカルにも活動の場を広げ、日本におけるミュージカル俳優の草分け的存在です。
怪我談義
颯爽と現れた宝田明、黒柳徹子の手の甲にキスをします。
心なしか喜ぶ黒柳徹子。
三船敏郎と森繁久彌と3人で女の話や監督の悪口をいうときは聞かれてもいいように中国語で話したそうです。
35年前テレビドラマで寒いときにアクションをやって右足を怪我しました。
3回手術しましたが今も正座ができないそうです。
自宅の階段を上がり降りして鍛えているVTRを見ました。
下にある事務所に1日に4回ぐらい上り下りするそうです。
去年は額に19針縫うけがをしました。
羽田空港のエスカレーターに両手に荷物を持って
後ろから女性にすいませんと言われて後ろから付かれて倒れました
その人はスタスタ行ってしまいました。
救急病院で手当てを受けました。
東宝ニューフェース時代
写真に出入りしている写真やから「東宝でニューフェース募集しているから受けろ」と言われました。スタジオには50人ぐらい審査員がいました
山本嘉次郎、黒澤明、青山京子、岡田茉莉子とか大物が並んでいました。
最終審査まで半年かかったとか。
岡田真澄がいて4か月ぐらい勉強していたとか。
皆遠くに行きました。
ゴジラに出演
当時出演料が35万円でした。
当時ラーメンが25円の時代なのですごい大金でした。
アメリカのゴジラ2回目の時に関税官の役で出演しましたが、あとでカットされてしまって幻の出演となってしまいました。
今でも海外のサイン会には必ず呼ばれているそうです。
1958年ゴルフコンペで優勝した時のトロフィーで9638(黒沢)と入っています。
このトロフィーは黒沢家と千秋実の3個しかないそうです。
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