舘ひろしが徹子の部屋で語る石原裕次郎・渡哲也・家族の事
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最終更新日:2018/06/08
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2018年6月8日の徹子の部屋は68歳の今も変わらぬ体型でダンディーな魅力を放ち続ける舘ひろしがゲストです。
運動はゴルフは18ホール歩くし、乗馬やっているけど3cm縮んだとか。
番組では、石原裕次郎さん・渡哲也さんとの貴重映像を交えながら2人への想いを語ります。
ほか、90歳で他界するまで現役医師だった父や、元気に暮らす母など知られざる家族秘話も語ります。
西部警察への出演
舘と渡は、伝説の人気ドラマ「西部警察」(1979年、テレビ朝日系)のキャストに選ばれ出会った。
舘にとってドラマ初出演だった。
西部警察の撮影初日、東映時代から愛用している黒いディレクターズチェアを石原、渡のディレクターズチェアの横に置いたところ、石原から「10年早いな」と言われ、周囲のフォローを無視して「時代が違いますよ」と反論すると、石原は「悪かったね。時代が違うんだ」と笑って理解を示してくれた。
舘は「僕の人生の中ではやっぱり『渡』」としみじみ語り、「渡から会いたいと言ってくれた。会いに行ったら『舘君ですね、渡です』とすっと立って握手してくれた」といいます。
こうありたいと思ったそうです。
しばらく渡と一緒にやってあるとき「ひろしお前には花がある」と言われたそうです。
初めて自分を認めてくれた人でした。
石原プロモーションへ所属
石原プロモーションの設立は1963年(昭和38年)1月16日。
舘ひろしは1983年(昭和58年) 2月8日に自ら志願して 石原プロモーション入社しました。
入社の際に渡から、「お前は、渡プロに入ったんじゃない!石原プロに入ったんだから!」と訓告を受けた。
石原プロモーションは経営悪化のため、2011年3月に社長を務めていた渡哲也、取締役だった舘ひろしと神田正輝が退任し、設立者で初代社長の故石原裕次郎さんの妻で会長の石原まき子さんのみが取締役に残った。
お正月のハワイ旅行、裕次郎の別荘で2人きりで交わした会話
その夜は仕事の都合でハワイから帰国する前日だった。
昼は「僕におごらせてください」と裕次郎夫妻をホテルのレストランに誘った。
「そうか、ひろしがおれにメシをおごってくれるのか」と笑う裕次郎に、妻まき子も「それでは今日だけは」と禁酒中の夫にシャンパンを飲むことを許した。
乾杯すると裕次郎はグラスを一気に飲み干して舘に向かっていたずらっ子のようにまた笑った。
舘は今思う。「渡の指示で石原さんと濃密な時間を過ごすことができた。だから最後の日、心の中にしまっておいたことを言おうと思ったのかな」。
2本のボトルを見つめながら舘は話を続けた。
「渡さんも社長の背中を真っすぐ見つめている。僕も渡さんに対してそうありたい。そうすると、どうしても手前の1人の背中しか見えなくなってしまうんです」。
裕次郎は並んだボトルを見つめながらずっと黙って聞いていた。
思いのたけを明かした舘は必死だったこともあって裕次郎の表情や反応を見る余裕はなかった。
数秒間、波音だけが聞こえた。
裕次郎は「うん」とうなずいてから「そうか」とだけ言ってまた海を見つめていた。
横顔が少しほほ笑んで見えた。
熱い思いを包むように波音が静かに聞こえてきた。
舘はそれだけで良かったと思っている。
「社長はそこで大げさに肩なんかたたいたり抱いたりして『分かったぞ、ひろし』なんて言う人じゃない。自分は気持ちを伝えられて良かった。ただそれだけのことです」。2本のボトルは今も別荘に飾られている。
日刊スポーツ特別取材班
舘ひろしの父
「名古屋で開業医をしていました。どちらかというとぼんぼん育ちで、親子の関係もそれほどべったりしていなくて。自分が悪いと思ったら『昨日は理不尽なことで怒って申し訳ない』と子供にでも謝る人でした」。口癖は『男子たるもの紳士たれ』で、おやじもそうありたいと思ったんじゃないですかね。紳士の定義は自己犠牲じゃないかと思うんですよ。僕もそうありたいと思っています」
「おやじは2014年8月に亡くなりました。足が悪いのでつえをついて散歩しろって僕はよく言ったんですけど、つえで歩く自分の姿があまり好きじゃなかった。プライドというか。結局歩かなくなって弱ってしまいました」
ある時、石原に対し「俺は渡哲也という男に憧れて石原プロに入りました。その渡さんは社長(石原)の背中を見て生きてきました。俺は渡さんの背中しか見ていませんから、社長の背中は見えません。横に立って斜めから見ると2人の背中を見ることができますが、それでは社長の背中を見たことにはなりません」という旨を面と向かって告白したところ、感銘を受けた石原が舘をいたく気に入り、それ以後はなにかにつけて可愛がるようになったという。
日本経済新聞
舘ひろしの母
「お袋は厳しい人でした。僕が小学1年生の時、お袋の実家がある三重県四日市市に行くのに、名古屋駅から出ているバスに独りで乗せられて。1時間半の一人旅はすごく不安だったのを覚えています。かわいい子には旅をさせよと思ったのか、勉強にしてもすごく口うるさかったですね。医師にしたかったんじゃないでしょうか」
「お袋は91歳で健在です。名古屋の広い家に独りでいるんで心配です。たまに電話したり、名古屋に帰る機会に顔を出したりしています」日本経済新聞
舘ひろしが徹子の部屋で語る石原裕次郎・渡哲也・家族の事 まとめ
舘ひろしが最近テレビの露出を増やしている「映画終わった人」の宣伝をしているからですね。
映画「終わった人」は最初ネガティブな感じがして やるかやるまいか逡巡したといいます。
台本読んだら コミカルで前向きなので出演を決めました。
定年がない業界なのでセリフが覚えられなくなったらやめると言います。
将来設計できないのでやらないとも。
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