山野愛子ジェーンの徹子の部屋
公開日:
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最終更新日:2018/05/29
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2018年5月27日の徹子の部屋は美容家・山野愛子ジェーンがゲスト出演します。
山野愛子ジェーンの祖母は日本の美容界の礎を築いた伝説の美容家・初代山野愛子です。
初代山野愛子から二代目を襲名したのが山野愛子ジェーンです。
山野愛子ジェーンは12歳までアメリカで育ち、来日後アメリカンスクールを卒業しました。
その後、美容の勉強どころか日本語もあまり解らないまま、突然19歳でニ代目を襲名し現在に至っているといいます。
当時、先代の後継者として人生が180度変わり、昼間は大学、夜は美容学校、週末は二代目修業と奮闘の日々でした。
今日は大変貴重な祖母の映像、1960年の美容学校授業風景や『徹子の部屋』出演のVTRを見ながら、祖母と二人三脚涙と笑いの修業時代を語ります。
山野愛子ジェーン
18才の時にほぼ命令で美容をやるようになりました
高校卒業してから日本舞踊の後は山野愛子と一緒に全国回ったそうです
ジェーンはそのころはまだ日本語が喋れなくて、山野愛子は英語が喋れませんでした。
目で会話したそうです。
山野愛子の旦那がパーマをかける機械とドライヤーを製作して販売しました。
1000人の前でピンを全部飛ばしたこともあります。
ぴんを開けずに渡したので山野愛子が手をたたいたからです。
ステージではスマイルでも
降りたら大泣きしたとか
もうアメリカ―帰ろうと思いました
1984年、2代目山野愛子を襲名しました。
現在は山野美容専門学校校長・山野美容芸術短期大学副学長・全日本ブライダル協会副会長などの要職に就いています。
美容家・山野愛子
1909- 昭和-平成時代の美容家・山野愛子は1909年(明治42年1月20日)生まれです。
1995年(平成7年7月31日)86歳で死去しました。
実家は東京・向島で洋食食堂を経営していましたが、父親は愛人のもとに入りびたり。
そんな父の姿に、母親はことあるごとに、「これからは女も自立する時代」と説いていました。
大正14年髪結い店を開業し,アイロンによるウエーブのつけ方や新日本髪を考案しました。
昭和24年山野高等美容学校(現山野美容専門学校)を創立,校長となります。
36年ロサンゼルスに分校を,平成4年山野美容芸術短大を開設し,美容師の養成につくしました。
ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの審査員も務めました。
長男の娘の一人が後継者となった山野愛子ジェーンです。
山野美容専門学校
山野美容専門学校には3つの課程があります。
◆【自分の強みをつくる選択制カリキュラム】で学ぶ専門課程
どの授業を選んでも、美容師国家試験の受験資格が得られます。
美容の仕事を支える理論や知識をもってプロになるカリキュラムです。
◆【サロンで働く講師陣から現場力を学ぶ】高等課程
人気サロンのヘアスタイリストやメイク事務所に所属するヘアメイクアップアーティストが授業を担当します。
技術や接客の仕方はもちろん、トップといわれるプロの仕事力も学べるのが特徴です。
◆【働きながら、学校へ行きながら美容師国家資格を目指す】通信課程
毎日通わなくても、美容師国家資格取得を目指せる通信課程です。
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