曽野綾子が徹子の部屋で語る「夫の後始末」とは
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最終更新日:2018/05/28
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2018年5月28日の徹子の部屋はベストセラー『夫の後始末』の著作者である曽野綾子がゲスト出演します。
作家・曽野綾子(86歳)の著作『夫の後始末』は
夫・三浦朱門の在宅介護生活と看取りを綴った作品で、1月現在で8刷12万部のベストセラーとなっています。
曽野綾子は2015年秋から2017年2月までの1年半91才歳で亡くなるまで、自宅で衰えゆく夫の介護に努めました。
曽野綾子が明かす実体験の数々は、常識にとらわれない事ばかり。
〜作家・曽野綾子が80代なかばにして直面した、90歳になる夫の在宅介護。工夫と試行錯誤を重ねながら、「介護とは」「看取りとは」そして「老いとは何か」を自問自答する日々~
昨年10月発売より売れ続けています。「夫の後始末」(講談社)
老老介護時代、女性だけの話ではありません、男性にもぜひ。 pic.twitter.com/GIPBjGWDv1— アカデミア港北店 (@ACADEMIA_kohoku) 2018年5月25日
結婚生活について
63年間の結婚生活でした。
最後まで治療してもらって、みとってくれて幸せだったと思います。
そんな国はほかにありませんから。
曽根は22才で結婚しました。
夫が文化庁長官に任命されたときにはヨーロッパ言っていました。
最後の9年間は一緒に暮らせたので幸せでした。
曽根の持病は目が悪いし、いろいろ欠損した部分があるから曽根綾子という作家になれたと思っています。
入浴はカラスの行水程度。
夫は食事がしないので気をもんだといいます。
延命治療はお互いにしないということを決めていました。
葬儀は近親者のみでハッピーバースディを歌いました。
15~16人、死ぬということはクリスチャンはバースディというんだ。
永遠の生を得られるんだから今日はお誕生日だといって
ハーモニカを取り出してみんなでハッピーバースディを歌いました。
棺の中に入れるものは困りました。
もしメガネというと、「死んでも俺に仕事をさせる気か」という性格の人だったので
仕方なく、朝刊を入れました。
毎日朝刊来るのを待って、スポーツ欄から経済欄まで隅から隅まで読む人だったとか。
転んで顔にあざを作ったりしたのも朝新聞を取りに行って転んだりしたからです。
その新聞には自分が死んだことが出ていました。
結婚した当時のvtrを見ました。
夫の三浦朱門は何でも根詰める女房は暗いと言っていたとか。
洗ってないお茶碗が山のようにあっても
寝ちゃうような女房が好きといっていたとか。
毎日前日の失敗談を聞かせてくれたていたそうです。
お父さんとお母さんはかなり年とってから離婚したそうです。
お母さんが70ぐらいの時です。
曽根綾子はばんざいするほどうれしかったそうです。
その父に後妻が来たことも良かったとか。
お母さんは曽根綾子が引き取りました。
夫の死後の生活は整然と同じようにしてきました。
もし変えたら、「変えたら俺が生き返るか?」っていうに決まっているからです。
死後整理していたに12万円でてきたので、ねこを買ったそうです。
夫・三浦朱門
2人の結婚は1953年でした。
三浦朱門が小説を掲載していた同人雑誌『新思潮』に、曽野綾子が参加したことがきっかけでした。
初めて会ったのは新宿駅ホームのゴミ箱の前。
以後、およそ63年を共にオシドリ夫婦といわれて過ごしました。
作家三浦朱門は 日本大学芸術学部教授、文化庁長官、社団法人日本文藝家協会理事長、日本芸術院院長などを歴任しました。
中曽根内閣での文化庁長官在任当時「女性を強姦するのは紳士として恥ずべきことだが、強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」「レイプ犯人が……貞操についてルーズな思想の持ち主を襲ってくれればよいのです」などと雑誌に寄稿していたことが国会で問題視されました。
本人はたじゃれのつもりでした。
夫三浦朱門自宅での介護
2015年、三浦朱門は機能障害を発症しました。
既に80代半ばを迎えていた曽野綾子は、執筆に追われながらも自宅での介護を決意しまた。
独自の人生哲学に基づくケアを実践しました。
また、自宅で執り行われた葬儀は、神父が奏でるハーモニカに合わせ、参列者が「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」を合唱したといいます。
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