三田明の波乱の人生とは?徹子の部屋
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最終更新日:2018/04/25
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2018年4月24日の徹子の部屋のゲストは三田明です。
今年70才になる三田明が波乱の人生を語ります。
三田明が『美しい十代』で16才歌手デビューしたときは美少年なので人気は凄いものがありました。
先輩の橋幸夫、同期の舟木一夫、後輩の西郷輝彦が組んだ御三家を尻目に、3人に負けず劣らぬの大人気で”四天王”とよばなければならないほどの人気ぶりでした。
人気が出過ぎて通っていた高校に見物人が押し寄せ、登校禁止令が出されるほどだった三田明。
迷惑が掛かるため退学を考えていた時、校長先生が個人授業をしてくれることになり、無事卒業できたといいます。
その後は事務所の倒産・ハイジャック・大火傷…とにかく波乱の人生だったが、37歳で16歳年下の女性と結婚。
三田明の人気ぶりを知らない世代の妻が時折放つ的確な指摘に、襟を正すことも多いと語ります。
波乱の三田明の人生
1971年に所属事務所である東洋企画が倒産します。
その時三田名義で多額の借金を作っていたマネージャーが失踪しました。
被害額は1億5000万円ほどにも上りました。
その返済の為に日本全国への巡業を余儀なくされました。
1972年11月に発生した日本航空351便ハイジャック事件に乗客として、江利チエミらと共に遭遇しています。
事件発生中に三田は熟睡中で、事件のことを語れず、マスコミから「スチュワーデスと付き合いたい」と、事実無根のことを書かれました。
1970年代、三田を支えていたものとして、バラエティ番組での活躍が挙げられます。
もともと「ものまね上手」で知られた三田明はNETテレビの『象印スターものまね大合戦』など、当時全盛の「スターが他のスターの物真似をする番組」では、
五木ひろし、森昌子らとともに大賞の常連でした。
1979年12月、自宅火災で顔面に大火傷を負う。
引火した天ぷら油に水をかけてしまったそうです。
顔に大火傷を負いますが、外科整形手術によって、ほとんど目立たなくなりました。
1985年、結婚。
知らないうちに事務所が倒産した
日劇のワンマンショーを終わって
ギャラを待っていたら誰も来ないので
会社に行ったら会社がもぬけの殻だったとか
会社は業界で借金を作っていました
当時の事業所協会の会長
ワタナベプロの渡辺晋のとみろへ挨拶にいったら
「君に行ってもしょうがないか
分かった
じゃあ借金を半分にするから
後は自分たちの仲間から全部仕事をとるから
それでお前払え」ということになりました。
ハイジャックされた
羽田から福岡空港へ行く便
朝早い便で眠いので寝てしまいました
「ただ今当機は羽田に到着いたします」といアナウンスが聞こえてきました。
出たはずなのにと思っていたら
「この機はハイジャックされました」
江利チエミとのジョイントをやっているときでした。
降りてバスに乗っていくことになりました。
江利チエミが「ウシちゃん私たちさきいっちゃだめよ、お客さんが先行くの、私たち先に言ったら後で何言われるがわからないから」
大やけど
まだ独身の頃マンションで天ぷら上げようてして
油に蓋をしたら火がでて
消火器を油の落ちるところに置いてしまって
全て使えないので
水をかけたら遠かったけど
顔にかかったのであらったら
腫れてきて剥けてしまうし
病院行ったら
その時は大分ひどい、あと残るかもと言われました。
君凄いな君若いから回復力がスゴイとびっくりしました。
二週間ぐらいで回復しました。
ものまねが上手と言われていた
ものまねのVTRをみました。
森進一の物まねですが、スゴクうまくて黒柳徹子も感嘆するほどです。
ものまねは癖から取るそうです。
森進一は泣き顔から
くしゃみの止まった形というそうです。
音を出す前に震えるとか観察していました。
その後5年間は俳優をメインにやっていました。
16才年下のおくさんとの出合い
16才年下のおくさん
出合いは偶然で
仕事に行った帰りに遊びに行ったスナックのママのお嬢さんでした。
偶然手伝いをしていました。
歌うまったら
結構うまいじゃないと言われてムカッとしたそうです。
16才の彼女は三田明を知らなかったわけです。
それからしょっちゅう電話するようになったそうです。
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