豊田吉哉がアメリカで天才心臓外科名医と感謝されるわけは?
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最終更新日:2019/02/12
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2019年2月4日の世界ナゼそこに?日本人は米国で3千人以上の命を救い感謝される天才スーパードクターに密着しました。
アメリカは心臓病の有症率が高いため世界樹中から多くの医学卒業生がくるといいます。
外科手術の訓練が多くできるのは大きなメリットです。
豊田吉哉は1990年に神戸大学を卒業しました。
1995年 USMLE(United States Medical Licensing Examination)米国医師免許試験の認定を受け、
1998年ハーバード大学の研究小学資金を受けて渡米依頼心臓外科医として
心臓症例を経験し、腕を磨いてきました。
現在53才になる豊田吉哉先生はアメリカで3000人以上の命を救い大感謝されている日本人スーパードクターです。
心臓外科のエキスパートとしてアメリカの他の医師が投げ出した難手術を何度も成功させた“ゴッドハンド”の持ち主。
患者にとっては“最後の砦”だ。心臓を動かしたままメスを入れる、豊田先生しかできない高度な手術や、
2人同時の肺移植という難手術にも密着!その天才的な手術の腕前、そして名医ならではの驚きの日常生活に迫る!
アメリカの心臓外科医・豊田 吉哉ドクターのすごさ
アメリカの心臓外科医・豊田 吉哉ドクターのすごさはアメリカの他の医師が投げ出した難手術を何度も成功させた“ゴッドハンド”の持ち主ということです。
米国で3千人以上の命を救ってきたといいます。
アメリカの他の医師が投げ出した難手術を受けているというのがすごいのです。
32歳のときハーバード大学の研究所で研究奨学金を受けて1998年7月渡米して
外国人医師が心臓外科主治医としてアメリカで生き抜くには抜きんでた技術を持つことが必要と言われています。
2006年ピッツバーグ医療センターで心臓外科主治医になった時には
豊田吉哉ドクターはこの当時すでに他の外科医ができない心臓や肺の手術、心肺移植の技術を持っていたといいます。
心臓手術の数だけではなくて豊田吉哉ドクターでなければできない難手術をこなしてきたのが評価されるゆえんでしょう。
豊田吉哉ドクターの神業手術!冠動脈バイパスと大動脈弁置換手術
豊田吉哉ドクターは他の医師がリスクが多いとできない手術を引き受けて成功させるゴッドハンドと言われています。
番組ではその事例に密着取材しました。
手術を受けるのは79才の患者です。
血管に血の塊が詰まって狭くなり血液がうまく遅れずに心臓に異常をきたしています。
ここは冠動脈バイパス手術を行います。
同時に大動脈弁置換手術も行います。
大動脈弁置換手術は硬くなり開きづらくなった大動脈弁を人工弁に交換する手術です。
冠動脈バイパス手術は通常人工心肺を使って心臓を止めて行うのが一般的と言われています。
ところが豊田吉哉ドクターは合併症のリスクをさげるために心臓を動かしながら手術します。
激しく動き続ける心臓に太ももからとってきた血管をつないでいきます。
太ももに開けられた血管の穴はわずか3mmです。
その小さな穴の周りを2mmの針と糸で縫い合わせていくのです。
まさに神業と言われるゆえんです。
わずか30分で新たな血液の通り道を作り上げました。
大動脈弁置換手術は異常がある大動脈弁の切除から入ります。
10分で切除しました。
人工弁を移植しますが、それは豚の弁です。
この二つの手術にかかる時間は通常5~6時間と言われていますが、
豊田吉哉ドクターは半分の3時間で終わらせました。
合併症のリスクを極限にまで減らすことに成功しました。
豊田吉哉ドクターはこのような難手術を年間400件以上の手術をこなしているのです。
豊田吉哉ドクターは狂気の仕事の虫
豊田吉哉ドクターは2ldkで2億円のザ・リッツ・カールトンのマンションに住んでいます。
自宅の食事中もパソコンで仕事市ながらです。
結婚当初から朝ごはんの時から手術のビデオを見て勉強していたそうです。
車の運転して赤信号で止まると縫合の練習をします。
1秒を争う手術を成功させるのに完璧はないから努力するのだといいます。
豊田 吉哉ドクターのプロフィール
神戸大学 1990年卒業。
1997年博士号取得。
1998年7月ハーバード大学の研究所で研究奨学金を受けて渡米。
2002年米国マサチューセッツ総合病院の2年間で600以上の心臓症例を経験。
2006年ピッツバーグ医療センターで心臓外科主治医。
2008年ピッツバーグ医療センター心臓胸部移植の部門長
日本の心臓外科医 名医もすごい
日本では心臓外科医が優秀と認められるのは年間100例のラインだそうです。
日本には心臓血管外科専門医の資格を更新する基準があって
専門医となってから「5年間に100例の手術を経験していること」が資格更新の絶対条件とされているとか。
機構が専門医制度を始めたのは2004年のことだが、当初から専門医資格取得条件を「手術実績20例」としてきたため、ベテラン医師からは 「危ない。この程度の手術経験しかない医者を専門医と認定するようでは、医療事故が起こる」という批判が絶えなかった。
そして案の定、制度発足直後、同じ 病院(東京医科大学)で未熟な専門医が手がけた手術で4人の患者が次々と死亡する”事件”が内部告発で明らかになった。
この外科医の年間症例数は40例に 過ぎなかった。
心臓外科医で名医と呼ばれるには手術件数の多さが問われるわけです。
その点で日本で名医と言われているのは順天堂大学の天野教授です。
今も年間約400例の手術を行っていて
たずさわった手術は6000例を超えたとか。
天野 篤教授
そのスナップショットが天野教授の頭の中で様々に再生が可能となる。
「中心部を拡大することもできるし、3D画像にすることもできます。頭の中に何枚持っているかが、心臓外科医の勝負です」
人間の体を手術するときには、緊急異常事態が起こることは少なくない。そのとき、スナップショットが多いと、手探りで対処するのではなく、“確信のもとに”突き進めるのである。
「手術数が5000例を超えた頃から、引き出しが確実なものになってきました」
いかに人間の体の構造が精緻にできているのかが天野 篤教授の言葉からうかがい知れますね。
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