大橋巨泉を大橋寿々子と偲ぶ・徹子の部屋
大橋巨泉は放送作家から11PMから始まって「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」「ギミア・ぶれいく」など時代を代表する司会者として活躍しました。
司会を務めた番組はいずれも絶大な人気を博しました。
再婚相手の寿々子夫人は初婚で無類の子供好きでした。
にもかかわらず、大橋巨泉はパイプカットしたのは「公害問題」への不安と、二人の共通の趣味だった「海外旅行」です。
「いつも一緒にいるため、子どもを持たない夫婦」という生き方を大橋巨泉から提案され寿々子さんもそれを承諾しました。
約束どおりどこに行くにも一緒だったといいます。
大橋巨泉の晩年は病との戦いでした。
2005年の胃がんにはじまり、中咽頭がん、腸閉塞、肺がんと、闘病について番組で語っています。
番組では闘病を支えた寿々子んと共に過去の出演VTRを振り返ります。
大橋巨泉が亡くなって2年
1934年3月22日生まれで2016年7月に82才で亡くなりました。
大巨泉は度重なるがんの手術と放射線治療などによる衰弱、加えて今年4月に受けた在宅介護の医療機関のモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端な体力減退に陥り、
4月11日に緊急入院しました。
入院先のスタッフの治療で3ヶ月間も耐えましたが、7月12日に亡くなりました。
在りし日の巨泉
放送作家としてテレビの裏側にいた巨泉が、テレビ出演という表舞台に進出するきっかけになったのは「11PM」の開始でした。
当時放送作家だった大橋巨泉は番組の内容について「麻雀、競馬、ゴルフ、釣りなどの遊びを取り上げてみたら」と提案しました。
ギャンブルはまだタブーだった時代にもかかわらず巨泉の提案は受け入れられが進行役を務める適任者が見当たりませんでした。
ディレクターは巨泉自身に出演をもちかけ、コーナー司会者として起用されました。
その後、番組全体の司会者であった小島正雄の急逝もあり、巨泉がメイン司会を務めることになりました。
「シャバダバ~」のテーマに乗って、「11PM」では約20年間司会を務めました。
大橋巨泉の結婚
大橋巨泉はジャズシンガーのマーサ三宅と離婚後、1969年35才の時にアイドルだった浅野順子こと寿々子夫人と再婚しました。
21歳だった彼女との結婚は、当時「巨泉が少女を誘拐した」って騒がれました。
大橋巨泉夫婦が25年ほど前まで住んでいたのが、静岡県伊東市のマンションでした。
ゴルフや釣りが好きだった巨泉さんにとって、この地は絶好の場所だったといいます。
1993年ごろには、日本での拠点を静岡県伊東市から千葉県内に移しています。
終の棲家となった千葉県内の邸宅でも、夫婦の仲睦まじい姿が目撃されています。
「ご夫婦で近所をよく散歩されていました。気さくな奥さまで、“お庭がきれいですね”とほめてくださって。
巨泉さんちの庭も奥さまがよく手入れをされているので、とてもきれいですよ」(近所の住人)
2005年の胃がんにはじまり、中咽頭がん、腸閉塞、肺がんと、闘病
05年に胃がんの手術を受けてから11年間。長い闘病生活を支えたのが、’69年に再婚した14歳年下の寿々子夫人です。
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