香西かおりの家族との生活・徹子の部屋
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最終更新日:2018/05/25
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2018年5月25日の徹子の部屋は去年デビュー30周年の香西かおりがゲストです。
25才の時にデビューして新人賞を取り、無言坂ではレコード大賞を取りました。
それから30年「よくやれたなと思います」と香西香。
昨年、認知症を患っていた母が亡くなりました。
母に寄り添うため、15年前に地元・大阪に帰り、実家で暮らしていた香西かおり。
「後悔はしたくなかった」と家族と母を見守り続け、覚悟を決めていったという。
そして母が亡くなった日、家族全員で温かく見送ることができた…と語ります。
現在は高齢の父と二人暮らしです。
「父のお世話で忙しい」と話す彼女が、父との日常、兄の喫茶店での毎朝の食事など、プライベート映像で意外な素顔を明かします。
香西かおり(こうざい・かおり)履歴
香西香は1963年、大阪市生まれの54才です。
民謡歌手として15歳の時にデビューしています。
銀行員をやっていましたが、民謡ブームになって駆り出されていって、
二股かけていることは銀行にまずいただろうということで銀行を辞めました。
そんなころに、東京で演歌歌手にということを勧められました。
若手の演歌歌手を育てたいという話が合って東京にでて来ました。
赤坂の山王下のおみせでアルバイトしていました。
朝ガラスの窓ふきしていたら
交差点で止まった車から呼びかけられました
担当替えあってお前の事面倒見れなくなっちゃったから
と言われました。
信号待ちで捨てられてしまったと言います。
そんなことがあるんだと呆然としたそうです。
それでも目標があったので何とかやって来れたと言います。
1988年には歌手デビューしました。
1993年には「無言坂」で日本レコード大賞を受賞しました。
2000年には「浮寝草」で同年末の第42回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞しました。
2012年にはデビュー25周年記念曲「酒のやど」がロングヒット、同年末の第54回日本レコード大賞・優秀作品賞などを獲得しました。
さらに第63回NHK紅白歌合戦へ5年ぶりのカムバック出場しました。
香西かおりと家族による母のみまもり
香西かおりが東京での生活を続ける間に母・久子さんの認知症は悪化しました。
近所を徘徊はいかいするようになり、2004年、高齢者施設に入所することになりました。
父から「お母ちゃん、施設でお世話になることになったよ」と聞いて、母の症状の悪化を初めて知りました。
母は、家族が寝静まった後や明け方に外へ出ていきます。
私にできることを考えました。
父や兄夫婦の負担も軽くしたい。「帰ろう」と決めました。
社長にも告げづに帰りました。
後で社長に電話して、大阪から通って仕事をすることで了解をもらいました。
拠点を東京から郷里の大阪に移し実家の近くに土地を見つけて家を建て、2006年から父と一緒に暮らし始めた。
兄夫婦は実家を守り、みんなが近くに住む。
地方公演などがない時は、父と交代で施設に行き、母に付き添いました
家族みんなで母を見守りました。
心臓が弱ったと電話をもらってから10分持たなかったので家族全員間に合わなかったそうです。
香西かおりの大阪の暮らしぶりは
朝は父の薬の種訳をして父が飲みやすいように忘れないように管理したあと、
兄が経営している喫茶店でモーニングサービスをいただきます。
あったかいコーヒー・サラダ・卵・バター塗った厚切りトーストの構成で380円です。
夜は兄夫婦と父と4人でその喫茶店に集まって食事をいただきます。
香西かおりの着物コーディネーター
歌手・香西かおり。そんな香西を より一層輝かせるのが着物コーディネーター・江木良彦です。
江木良彦は曲のタイトルからひらめく直感で、香西の着物を選ぶといいます。
江木良彦は宮沢りえをはじめたくさんの女優さんに支持されています。
「とにかく私たちの仕事は女優さんやモデルさんが安心して仕事ができるためにいる裏方なんだ」といいます。
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