滝沢カレンが徹子の部屋で語る生い立ちは?
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最終更新日:2018/05/04
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滝沢カレンは不思議な言葉選びと独自の世界観でモデル業のみならず、バラエティー番組でも大活躍です。
去年の番組出演本数は200本超えました。
2018年5月3日、滝沢カレンは、徹子の部屋で爆笑トークを繰り広げますが、感極まり大粒の涙を流す一幕もありました。
お祖母ちゃんの指輪を徹子がはめたときです。
滝沢カレン、念願の「徹子の部屋」初登場! 徹子と摩訶不思議なトークを展開? https://t.co/WInOm8nLKG #徹子の部屋 #滝沢カレン #黒柳徹子 #テレビ朝日 #ザテレビジョン
— ザテレビジョン (@thetvjp) 2018年5月2日
父はウクライナ人、母は日本人の彼女は、子どもの頃、飛びぬけて背が高かったため、目立つ容姿にコンプレックスを感じていたといいます。
また、幼い頃から祖父母と暮らしていたこともあり“昭和の生活”をしていたと明かします。
3年前に他界した滝沢の祖母は「徹子の部屋」が大好きで、よく一緒に見ていたそうです。
父親がいなかったけどおじいさんが父替わりでした。
今回の出演に当たって、大切にしている祖父母の形見を持参し、家族との思い出を語ります。
祖父母の事
小学生の頃からおばあちゃんがカレンを見ていました。
お祖母ちゃんがほぼ母親代わりでした。
徹子の部屋をいつも横並びで見ていました。
すべてをやり切って80才で3年前に亡くなりました。
家の中は埃一つない綺麗な家でした。
下駄箱から1足以上出していたら許さない。
ランドセルはきちんと所定の場所に置かないと捨てられました。
母親は通訳していました。
おばあさんは食事の時にプッチーニかけていました。
お祖母ちゃんだけが鼻歌をうたっていました。
オペラ教室に通っていました。
おじいさんは俳句をしていました。
絵もかきました。
四文字熟語
滝沢カレンは黒柳徹子はスゴイ早口だなあと思ってみていました。
でも、ふつうの早口とは違うと思っていました。
それ徹子は人間国宝としました。
出川哲郎は職業激痛です。
でも尊敬しています。
梅沢富夫男は本業不明。
漢字が大好きだっので、漢字ドリルをやっていたことが役に立っています。
子供の頃のコンプレックス
小5で168cmあったそうです。
駅でも良く呼び止められました。
髪の色も茶色なので。
学校ではダースベーダ―といわれていました。
毎日ママに嫌だったことを話しました。
ママはすぐ「ごめんね」といってきたそうです。
母親は153cmで父親は2mぐらいだったそうです。
滝沢カレンのインスタから変なことばを見る
滝沢カレンの言葉遣いを見ると、彼女は日本語の語彙の少なさを知っている語彙でとっさに表現する頭の良さしあるとかんじさせます。
それが面白いのが人気の秘密でしょう。
でも彼女は頭が破裂しそうなぐらい疲れるでしょうね。
過去形と現在形とか混同し、助詞の使い方もおかしくて独特の言葉遣いです。
聞く方は新鮮な日本語で頭の体操になっていいかもしれません。
こんな日本語を喋る勇気に乾杯ですね。
滝沢カレンの生い立ち
両親は父親がウクライナ人で母親が日本人です。
滝沢カレンが母親のおなかのなかにいるころに両親は別れたため父の顔はしりません。
母親がロシア語の通訳をしていたので、滝沢カレンが子供の頃から周りには「日本語が片言のロシア人」がたくさんいる環境だったそうです。
それを側で聞いていたカレンはおかしな日本語が身についてしまったと母親はテレビ番組で語っています。
カレンはロシア語はわかりません。
滝沢カレンが徹子の部屋で語る生い立ちは?まとめ
子供の頃はみんなよりも異常に背が高くて、髪の毛も目の色も茶色でそれが花蓮のコンプレックスでした。
ダースベーダ―というあだ名をつけられたりした滝沢カレンですが、今はその個性に感謝しています。
徹子から感想を俳句や四文時熟語を作ってほしいリクエストに直ちに答えたり、
相手の気をそらさない応答は頭の良さを感じさせるものでした。
最後は最高最高で締めくくりました。
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