荻野目洋子再ブレイクの5つのきっかけとは
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歌手荻野目洋子(49)が2018年4月21日に東京・港区の竹芝ニューピアホールを満員とする単独ライブを行いました。
荻野目洋子は既に去年あたり音楽番組などに引っ張りだこになるなど再ブレイクを果たしています。
今年50才になるつつましく子育てしていた家庭の主婦・荻野目洋子が奇跡の再ブレイクには5つのきっかけがありました。
荻野目洋子の奇跡の再ブレイクをはたした5つのきっかけとは・・・。
YOUTUBE・平野ノラ・荻野目洋子の再デビュー・アカネキカク・登美丘高校ダンス部です。
#荻野目部 🤣💃🕺🎸🎹#TOMO #KIMI #ryonryon #LISAP #海老原真二 #飯室博 有難うー❣️メンバー最高でした👍🎶 pic.twitter.com/K7o9G38qrr
— 荻野目洋子 (@oginome_info) 2018年4月21日
YOUTUBEの普及が荻野目洋子再ブレイクのきっかけに
YOUTUBEの普及がなければ荻野目洋子再ブレイクはあったでしょうか。
YouTubeの日本での利用率(1ヵ月1回以上)を2016年調査結果をGoogleが発表していますが
59才までの利用率は77%で、十代では90%以上です。
幅広い年齢層に普及しているスマホ所有者やパソコンの使用者でYouTubeを見ない人はいないでしょう。
2017年9月16日にアカネキカクが公開した登美丘高校ダンスクラブのバブリーダンスのMVのYOUTUBE再生回数は既に5000万回を超えています。
このYOUTUBEをきっかけで荻野目洋子の30年前のヒット曲のダンシングヒーローの再認知がされました。
お笑い芸人平野ノラが荻野目洋子再ブレイクのきっかけに
お笑芸人となる夢が捨てきれず2010年12月にデビュ年に31才でデビューした平野ノラ。
最初は本名で活動していたましたが、野良猫のように一人でも芸能界を渡って行けるようにという意味で、デビュー1年目でノラと名付けました。
衣装は1980年代のバブル時代に流行していた大きめの肩パッド付きスーツ、髪型はロングソバージュ、メイクは直線的で太い眉と強い色味の口紅、という出で立ち。
1985年に発売されたポータブルタイプの携帯電話「ショルダーホン」を提げて登場する。
このキャラが生まれたのは2013年の年末頃でした。
時代外れの衣裳と太い眉、「ぶっとびー!」、「おったまげー!」、「ワンレン・ボディコン・舘ひろし」などの決めセリフが人の心を捉えました。
平野ノラはバブルネタで出演する時には、荻野目洋子の曲「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」を出囃子(登場曲)にして登場することがありました。
2015年7月6日夜、東京・六本木のバーレスクTOKYOで行われたイベント「バブルナイト」に出演した平野ノラは
荻野目洋子の1985年の大ヒット曲、「ダンシング・ヒーロー」が爆音で流れる中、肩パッドを入れたソバージュ姿で登場しました。
太眉に、当時の携帯電話「ショルダーフォン」を肩に提げ、一気に約200人の心をわしづかみにしました。
平野ノラのこの芸風はジワジワと笑いを呼び、2016年ついにブレイクすることになります。
テレビの人気番組に続々と出演するようになったのです。
2017年9月16日にアカネキカクは登美丘高校ダンス部のバブリーダンスのMVを公開します。
短期間で5000万回も試聴されたのは荻野洋子のダンシングヒーローにあわせたキレキレの見事なダンスもさることながら
全体に漂う平野ノラ色が大きく貢献しています。
アカネキカクが荻野目洋子再ブレイクのきっかけに
アカネキカクのアカネはバブリーダンスの振付師でプロダンサーです。
アカネは大阪府立登美丘高校卒業後、大学進学の為上京。日本女子体育大学舞踏学1年生の時に登美丘高校のダンス部コーチに就任しました。
アカネはダンス部の創設者でもあります。
2015年,2016年校ダンス部選手権 DANCE STADIUM全国大会優勝に導いています。
2017年8月17日、大阪府立登美丘高校ダンス部は日本高校ダンス部選手権で準優勝となります。
2017年9月16日、アカネキカクは登美丘高校ダンスクラブのバブリーダンスのMVのYOUTUBEで公開します。
【TDC】バブリーダンス 登美丘高校ダンス部 Tomioka Dance Club
視聴回数 53,878,815 回
同ダンス部のバブリーダンスは、バブル時代の服や髪型、メイクの平野ノラのような格好をした女子部員たちが、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」にのせたダンスを披露しているものです。
全員のビジュアルだけでもインパクト大ですが、全力かつキレキレ、独特の表情で踊るダンスが衝撃的で、SNS上では動画が瞬く間に拡散されました。
荻野洋子のダンシングヒーロー・平野ノラの格好・アカネキカクの行動力・登美丘高校ダンス部のすべてがYOUTUBE視聴回数 53,878,815 回の原動力です。
荻野目洋子再が再デビューしていたことが再ブレイクのきっかけに
ここまでくると後は荻野目洋子の登場を待つだけです。
1985年20才の歌手荻野目洋子がリリースした7枚目のシングル「ダンシングヒーロー」の累計売上は70万枚を超え荻野目洋子自身の最大のヒット曲です。
2001年、荻野洋子は高校時代の同級生でプロテニス選手の辻野隆三と結婚し、以来主婦としてつつましく子育て専念していました。
2013年末より音楽番組などに頻繁に出演するようになり、TV番組で久々に披露された自身のヒット曲「ダンシング・ヒーロー」が番組出演直後に音楽配信サイトにて1位を記録し、月間ランキングでも1位を獲得しました。
2014年7月にはデビュー30周年を迎え本格的活動を開始することが発表されました。
デビュー30周年の始動第一弾と位置付けられたアルバム『ディア・ポップシンガー』に新曲を収録し、8月20日リリース。
もちろんこのアルバムにはダンシング・ヒーロー(Eat You Up) が収録されています。
荻野洋子のアルバムとしては約5年ぶり、オリジナルの新曲としては約15年ぶりの発表となります。
家庭の主婦に専念していた荻野目洋子がダンシング・ヒーローを歌い踊るには
体重を落とし、筋力をつける鍛錬が必要でした。
2017年9月16日にアカネキカクは登美丘高校ダンス部のバブリーダンスのMVを公開されたときに、
既に49才の荻野洋子は20代のころの激しい踊りを再現できる歌手として完全に復活していたのです。
荻野目洋子再ブレイクの5つのきっかけとは まとめ
荻野目洋子が再ブレイクしたのには現代の科学技術の進化が無ければありえなかったでしょう。
この5つのきっかけの内YOUTUBEとスマートホンの普及は現代ならではのものです。
そして奇跡の強靭な人間力抜きには荻野目洋子再ブレイクはありません。
平野ノラ・アカネキカク・登美丘高校ダンス部・荻野目洋子すべて強靭な人間力を持っています。
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