森公美子の徹子の部屋
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最終更新日:2018/04/18
トレンド
2018年4月17日の徹子の部屋はミュージカルやバラエティーで大活躍!森公美子がゲストです。
2018/4/20(金)からは梅田で「ラ・カージュ・オ・フォール」に出演ですね。
スタジオでは、レシピ本を出版している森公美子のプロ顔負けの料理を披露するほか、普段からは想像がつかないオペラの歌声を映像で紹介します。
有名な旅館を経営していた森公美子の父親は嫁入り道具の代わりに良い経験をさせるという教育方針で、ラーメンを食べに九州へ行ったり、時には象の生態を見る為にケニアまで行ったといいます。
58歳で逝った父と同じ年になった森さん。
父親の葬儀で思わず笑ってしまった母親のビックリ発言も暴露します。
さらに、やること全てがユニークな母の(秘)エピソードが続々!
小学生の頃からでかかった森光子
小学生6年生の修学旅行でみんなと一緒に食事をとっている写真が出てきました。
二回りぐらいでかい森公美子は旅館では父兄様はこちらですと
何回も言われたとそうです。
アメリカ留学で20kg太って帰ってきた
現在は30kgぐらいの増減は彼女にとっては普通と言います。
日本では会う服がなくて手縫いですが、
ロサンゼルスまでいけば22のサイズはもちろん28,30もあるとか
「まだ太れるんですあはははは」と笑う森公美子。
森公美子のプロ顔負けの料理
森公美子の子供の頃は旅館の調理場で遊んでいて自然に料理が好きになったといいます。
家には電子レンジが3台、冷蔵庫が4台あります。
人に料理をふるまうのも好きで[、森の家では「森食堂」と呼ばれるパーティーがよく行われ、親友の島谷ひとみや仲間由紀恵、市村正親らが姿を見せたり、舞台の稽古場にも共演者のために手料理を持参するそうです。
徹子の部屋には
季節の竹の子ご飯とピンク色の小エビのご飯を持ってきました。
トロミをつけると嚥下食になるので
だしのトロミもそえてあります。
10分もかからず作ってしまうそうです。
2012年11月光文社より『せっかちはウマい!』料理本を出版しました。
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森公美子の父親
父親はスピードスケートの元オリンピック選手で1989年に他界しました。
森公美子の実家は旅籠の時代からの旅館経営など手広く事業経営をしている資産家でした。
旅館の敷地は2000坪もあって旅館に美空ひばり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、長嶋茂雄など有名人が多数宿泊したそうです。
森公美子がまだ豚骨ラーメンを知らなかった子供時代に父に
「お父さん九州の方に白いラーメンがあるんですって」と言ったら
父が「じゃいくか!!」といって
学校をずる休みして
羽田から福岡へとんで380円のラーメンを食べて帰ってきたそうです。
小学生のころには
父が「像が足が速いこと知ってるか」というので
「像はデブだからおそいよ。パパ何言ってるの」といったら
それを見に南周りでアフリカのケニアまで行きました。
像の走るのを見たいと現地の人に言ったら
「そんなものみたら死んじゃうぞ」といわれました。
像は集団でいるので街とか村を全部つ伏してしまうぐらいのパワーがあるというのです。
父はいろいろな教訓や言葉を残してくれました。
その中には経験は宝というのがあります。
「僕は君にいろんな経験といろんな教養といろんな友だちができる環境だけは作ってやる」
森公美子の母親
母親は箱入り娘で家事は何も出来ない人だったとか。
新婚当時は父はサラリーマンで薄給でした。
ある日母が父に今週分いただいてませんかといいました。
「今週分! あれが全部だ!!」となりました。
「これは大変だ」ということで姉やさんがついたそうです。
びっくりするよな言い間違いも多くて
父が亡くなった時母から電話が来ました。
心筋梗塞でなくなったのを
「近親相姦でなくなった」と言ってきたそうです。
これには黒柳徹子も大笑いです。
旅行に行くことになって母が手配しました。
人数が増えて30人ぐらいになりました。
元旅館の女将だった母が全部チケットとか手配しました。
周りの人が
「そんなことしていたら大変だから旅行会社通した方がいいんでねえの」と言ったら
「あんたね
旅行会社なんか通したらね
バージンとられるんだよ」と言われたとか。
森公美子の徹子の部屋まとめ
徹子の部屋では森公美子が徹子の部屋クラシックに出たときのVTRを見ました。
堂々たるオペラ歌手の森公美子です。
最近はバラエティばかりやっているので歌手だということを知らない子がいるとか。
是非本業の方でも頑張って美声を聞かせてほしいものです。
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