神野美伽の離婚後の病気と手術とは?徹子の部屋
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最終更新日:2019/03/05
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2019年3月5日の徹子の部屋は2013年以来の出演となる神野美伽がゲストです。
前回の出演の時は夫荒木とよひとについて神野美伽は別居生活ではあったものの、べた褒めでした。
2015年に離婚し、2018年の年末に神野美伽は「リスフラン関節症」という病気の発症と手術の成功をブログで報告します。
3年前から激痛があったそうです。
2018年クリスマスから2019年のお正月と街が華やぐ時期を病院で過ごし、今までにない仕事や将来への不安を感じたました。
友達が大みそかには年越しそばを年明けにはおせち料理をもってきてくりたり親身になり付き添ってくれたといいます。
将来が不安だった病院では学ぶことがたくさんあったといいます。
退院後もたくさんの励ましのメールをもらって「歌う意味がある、死ぬまで歌いたい」と思ったそうです。
徹子の部屋では友達からの手紙を読み上げると堪え切れず涙が…。
神野美伽が寂しくならないように毎日いてくれたそうです。
2015年に作詩家・荒木とよひささんと離婚したが、作詩家と歌手の関係は以前と変わりなく、尊敬する気持ちも同じと語ります。
今日から24日まで
大阪新歌舞伎座
前川清・神野美伽さん公演です!
渋くてカッコいい前川清さんの舞台❗
要チェックですよー! pic.twitter.com/6A2L6U0asm— まかまか グループ (@FuHLcTpCMSOAEQk) 2019年3月3日
神野美伽の離婚後の病気と手術とは
2018年12月19日に入院し20日に受けた手術は大掛かりなものでした。
神野美伽 の症状は重く、激痛を伴い足の甲の骨に穴が空いていたといいます。
神野美伽はブログで「麻酔が切れた後は辛く、痛み止めの注射を受け寝たきりだった。今は普通に立っていられることのありがたさを感じています」などと綴っています。
神野美伽は手術の3年ほど前から両足に激痛があったといい、1年前に「リスフラン関節症」の一種と診断を受けました。
リスフラン関節は足を構成するアーチの頂点部分の関節であり、関節症が出るとアーチの部分が保てなくなり関節が壊れた状態になるといいます。
初期症状は足の甲に痛みが出て、そのうち骨が関節からせり出し足の甲が腫れてくるとのことです。
また足の骨の構造上女性の方が発症・悪化しやすく、外反母趾なども原因となるとも。
「35年間ハイヒールとか着物の草履だったり履いて歌ってきたけど、乱暴に自分の体を使ってきたんでしようね」神野美伽
骨がもともと丈夫ではなくて今回5回目の手術で
膝の半月盤を2回、手も穴が開いて手術したとか。
手術は無事終了して翌日からリハビリを開始して1か月後、2019年1月27日の千葉県栄町でのふれあいコンサートで復帰しました。
1か月間はかかと歩きでした。
現在もまだリハビリは継続しています。
神野美伽と荒木とよひさとの結婚と離婚とその後の関係
神野美伽は相愛高等学校卒業後、1984年19才の時にデビューしました。
1985年に「男船」で日本レコード大賞金賞を受賞しました。
1999年33才の時に22才年上の作詞家の荒木とよひさと結婚しました。
神野美伽は当時母と妹の生活を支え、仕事も多忙を極めていました。
一方夫の荒木とよひさは好きな京都に住んでいました。
遠距離結婚だったわけです。
結局夫婦間には荒木とよひさの女性問題など幾度となく修羅場が訪れました。
結婚から10年後の2009年には別居しています。
2015年8月12日に離婚へ向けての合意成立を発表し、同月中旬に正式に離婚成立が成立しました。
離婚から3年後、デビュー35周年を記念して作ったアルバム「夢のカタチ」 で、曲の作詞を依頼したのは元夫の荒木とよひさでした。
神野美伽は「今の私に、もう妻ではなくなった私に、あなたが1番歌わせたい言葉を紡いでください」と荒木とよひさに言ったとか。
神野美伽は「2回目のラブレターもらった感じ」と伝えたとか。
楽曲の題名は「千年の恋歌」作曲 弦哲也 作詞 荒木とよひさ
コノ命 散リユク櫻(ハナ)ニ 身ヲ重ネ
春ノ名残リヲ 心二秘メテ
生きましょう 生きましょう ただ生きましょう
そう想うだけで いいのです
演歌の大御所 弦哲也が 愛憎生活を体験した二人の歌「千年の恋歌」を作曲したわけです。
「千年の恋歌」という題名も意味深です。
2019年2月6日にリリースした新曲「愛のワルツ」も作曲 弦哲也 作詞 荒木とよひさのコンビでした。
こうなると二人の私生活をのぞき見るようで・・・。
愛のワルツ/神さまのプレゼント/男船(LIVEバージョン) [ 神野美伽 ]
岩崎宏美があこがれの人
10才の時にスカウトされた神野美伽ですが、岩崎宏美があこがれの人だったそうです。
18才のころは髪型もまねしていました。
ところが最初にもらったのは演歌でした。
岩崎宏美は病院に励ましのメールをくれました。
食べたいもの全部書いてというリクエストでした。
退院したら食べに行こうという言葉が添えてありました。
素晴らしい先輩、後輩、仲間がいっぱいいることに気が付きました。
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