渡辺貞夫が徹子の部屋で語る近況と思い出。
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最終更新日:2018/11/22
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2018年11月22日の徹子の部屋は85才にして現役のアルトサックス奏者の渡辺貞夫がゲストです。
85歳にして現役で演奏活動の近況や思い出話は濃い中身が期待されます。
ライブが生きがいというだけに2018年も全国を駆け巡ってコンサート活動をし、10月3日には全国8カ所公演からのベスト・テイクを収録した最新ライヴアルバム「リバップ・ザ・ナイト」をリリースしました。
さらに過去のオリジナル・アルバムから本人が選曲した初のバラード・アルバム「LOVE SONGS」を10月3日にリリースしています。
85才にして衰えない創作活動のエネルギーはどこから来るのでしょう。
徹子の部屋では
妻子を日本に残してアメリカ・ボストンのバークリー音楽院へ留学のことや、
音楽活動を支え続けてくれた亡き妻への想い、
2年前にネパール大地震の被災地を訪ね、現地の小学校で子ども達と音楽で交流する時間を過ごしたなどをかたります。
『花は咲く』の演奏を披露したり黒柳徹子がサックス演奏に挑戦する場面もあるとか。
渡辺貞夫の体調管理
80を過ぎてライブが生きがいという渡辺貞夫はステージにしゃんと立てるよう、自分なりの体作りに努めているといいます。
朝と夕方に散歩して、公園でストレッチしたり。
年を重ねると足腰が弱くなりますから、しっかりと全身を使えるように体調管理しているのです。
ツアーに熱心なのは唇周辺の筋肉が衰えるといい音がしなくなるのも理由の一つとか。
重さが5kgほどあるアルトサックスを携えて毎月一週間から10日間ぐらい地方公演に出かけています。
1年間に7~10箇所ぐらいツアーをやっています。
聴衆と向かい合った反応や出会いがうれしいといいます。
朝は5時半ごろ起きて、明るくなるころには犬を連れて毎朝散歩、公園で体操が日課とか。
肉、魚が大好きでプロスキーヤーでこるふともだちでもある三浦雄一郎とはステーキ会をやっています。
最近三浦雄一郎は450g、渡辺貞夫は200gのステーキを食べたとか。
体は膝にガタがきているので一生懸命歩いているといいます。
ネパールの大地震の後にはネパールの学校に慰問に行ったり被災地コンサートをやったりしました。
渡辺貞夫のアルトサックス奏者としての活躍
渡辺貞夫が世界のナベサダと呼ばれるのは1983年頃からアルバムが米国でトップチャート入りするなど、世界的に活躍したことからきています。
1978年にリリースした「カリフォルニアシャワー」は空前の大ヒットでした。
日本中にナベサダブームが起こりました。
1983年発表の、アルバム『フィル・アップ・ザ・ナイト』は米国の専門誌『ラジオ&レコード』誌のジャズチャートにおいて堂々の1位を獲得しました。
続く’84年発表の『ランデブー』はビルボード・ジャズチャート2位を記録するなど、世界最高峰のメンバーをバックに従えて本格的な世界進出を果たしました。
バークリー音楽院へ留学
1962年に渡辺貞夫がバークリー音楽院へ留学できたのは、秋吉敏子の功績によるものでした。
秋吉敏子は1956年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院で奨学生として学びました。
秋吉敏子はバークリーに行ってから4年経って日本に演奏で帰ってきました。
そのときに学校から一人秋吉敏子の推薦で奨学金をくれるということで、渡辺貞夫に行かないかと声をかけたのです。
渡辺貞夫の奥さんは「行きなさいよ」と背中を押してくれました。
高校のときに3ヶ月ぐらいアメリカ2世の将校の英語塾に通ったおかげで一般的な会話は全然問題なかったそうです。
渡辺貞夫は1962年、29歳のときアメリカへ行きました。
バークリーで教わることはやはりたくさんあったといいます。
勉強の傍ら演奏活動に飛び回る日々を過ごしました。
学校は3年ぐらい通いました。
徹子の部屋での演奏
徹子の部屋では渡辺貞夫は「花は咲く (作曲 菅野よう子)」をピアノ 小野塚晃 とともに演奏しました。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災地および被災者の物心両面の復興を応援するために制作されたチャリティーソングです。
演奏終了後、黒柳徹子はアルトサックスを手にもってその重量感を味わいました。
膝の上に置いて、音出しをしました。
息を吹き込んでもなかなか音がでなかったのはくわえ方が浅かったからのようです。
奥さんの思いで
24才の時に結婚しました。
200ドルもって渡米しました。
日本に残った子供は3つ半でした。
アメリカでは演奏旅行でお金をためてから妻子を呼びました。
10か月ぐらいで1000ドルたまったそうです。
奥さん貢子は面倒見のいい女性で苦学生や先生をずいぶんご飯に呼んだそうです。
渡辺貞夫はその食い扶持稼ぎで大変だったとか。
2010年にパタッとうつぶせになってそのまま行ってしまったといいます。
江戸子なので気風が良くて渡辺貞夫が欲しい性格を全部持っているので少しでもあやかりたいと思って結婚したそうです。
非常に行動的な人で、渡辺貞夫が演奏に外国に出ると、奥さんも旅行に出ました。
サンフランシスコの街角でばったり会ったこともあるそうです。
二人でも旅をしたそうです。
今は娘さんに面倒を見てもらっているそうです。
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