吉田輝星の股関節の痛みは横浜戦から!何がおかしいのか?
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最終更新日:2018/08/23
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秋田県勢として103年ぶりの決勝進出を果たした金足農は惜しくも大阪桐蔭に12-2で敗れました。
7人ものドラフト候補がいる大阪桐蔭に金足農が勝つための条件は、吉田輝星が、これまででいちばんいい投球をすることでした。
ところが吉田輝星には股関節に異変が起きていました。
異変がおきるぐらいですから疲労が蓄積していたことも想像に難くありません。
吉田輝星の投球数から
吉田輝星は秋田大会で全試合完投しています。
県大会での投球数は10日間5試合で計636球。
1試合平均は約127球でした。
強豪が出そろう甲子園ではさらに球数が増えました。
準決勝までの5試合の投球数は749球で、1試合平均は約150球でした。
現代の医学的常識から言えば、とっくに限界を超えていると言われる投球数ですが、
考慮すべきは投球数だけでなく、そのうちどれだけギアをあげて投球しているかです。
ランナーを背負って再三ピンチ出の投球が多かった甲子園では吉田輝星の体への負担は県大会以上に大きかったことでしょう。
注目すべきは甲子園での横浜戦です。
吉田輝星は横浜戦で限界を超えていた
吉田輝星は横浜打線から14三振を奪いましたが、そのうち7つは走者が得点圏にいる場面でした。
吉田輝星はピンチでギアを上げて投球します。
強打線の横浜を抑えるために吉田輝星が四苦八苦したことは投球数が164球にも及んだことが示しています。
金足農が奇跡の逆転3ランを果たして迎えた9回は力が入り160球目には最速150キロのボールを投げ、三者三振にうちとりました。
異変は翌朝に起きました。
朝起きたら、股関節に痛みがあったのです。
先発回避も考えたといいますが、宿舎でマッサージを受けてようやく痛みが和らぎました。
中泉監督には「お前の野球人生はここで終わりじゃないぞ」と言われました。
それにもかかわらず球場に着いてから中泉監督に先発を志願したのです。
股関節を痛めるのは投手として致命傷
股関節を痛める弊害は大きいと言われています。
「股関節は体で最も大きな関節で、立つ、歩くなどの運動をする上での要です。投手で言えば、股関節は肩、肘よりも重要といっていい。
投手は、股関節を回転させながら投げる。
下半身を支え、上半身を使うためのいわば“蝶番”の役割を果たす。股関節をうまく使うことによって下半身に粘りが出て、間が取れる。
股関節が使えないと突っ立った状態で投げるしかない。股関節痛は、将来を考えると極めて危険といえます」高橋善正(プロ野球解説者・評論家)
元阪神でメジャーでもプレーした藪恵壹の言葉は吉田輝星の股関節異変の影響の大きさを示しています。
「ボールが指先から離れた瞬間からキャッチャーミットに収まるまで、勢いを失わずに落ちることがない。本当に質のいいストレートを投げますね。
一度トラックマンを使って、どんなストレートなのか、球の回転数など数値化してみたくなる。そんなピッチャーですね。
あの球が投げられるのは、しっかり下半身を使って投げているから。
右足1本で立った後、踏み込んだ左足にグワッと一気に体重を移動することができる。
1から一気に100までグッと移動できる感じですね。高校生であれだけ上手く下半身を使った投げ方ができる投手は、そう多くはいませんよ。」
吉田輝星は近江戦ではもう あのストレートは 投げられない体になっていたのです。
吉田輝星は股関節の異変以後投球を変えた
準準決勝の近江戦では序盤はスライダーやスプリットを多投して打たせて取る投球に徹しました。
「いい真っすぐは終盤だけだった」といいます。
ピッチングの引き出しの多さが、失点を最小限に食い止めたのです。
準決勝の日大三戦では体が疲れて力が入らなかった
準決勝の股関節の異変と疲労の蓄積で力がはいりませんでした。
それでも低めの球は伸びていたと言います。
「120キロ台でも、140キロぐらいの威力があった」捕手の菊地亮太。
日大三戦は、三振数は甲子園で初めて二桁に届かず、7個にとどまりました。
そのぶん球数も抑えられ、それまでではいちばん少ない134球でした。
決勝戦・大阪桐蔭戦では序盤から異変があった
大阪桐蔭戦では力が入ったのか、体の異変なのか初回から、コントロールが不安定でした。
めったに出さないファーボールを出したりワイルドピッチで得点を献上しています。
秋田大会から甲子園の準決勝まで1400球近くを投げていた蓄積疲労に、気温33度の猛暑が追い打ちをかけました。
「4回くらいから足が動かなくなった」といいます。
腰のあたりに痛みを感じ、我慢して投げてきましたが、五回、大阪桐蔭の猛攻を受けた時マウンドに励ましにきた二塁手の菅原天空(たく)に言いました。
「オレ、もう投げられない」
マウンドではチームメートに限界を伝えています。
「あんな弱気な輝星は初めてだった」と菅原天。
この回を終え、主将の佐々木大夢(ひろむ)とともに、監督に投手交代を進言しました。
大阪桐蔭と金足農業のメンバーには敬意。しかし金足農業の吉田選手を美談で終わらす間は、日本のスポーツ界に未来はない。吉田選手にどれだけの負担がかかり、選手寿命をどれだけ縮めたのかを科学的に明らかにすべき。それくらいのことができないなら日本のスポーツ科学論は役立たず。
— 橋下徹 (@hashimoto_lo) August 22, 2018
吉田輝星の股関節の痛みは横浜戦から まとめ
吉田輝星投手が万全の体調で決勝戦にのぞめなかったのは残念なことでした。
もしは禁物ですが、万全の体調で決勝戦にのぞみ、大阪桐蔭を破って優勝したとしたら、スゴイことではあります。
一人のスーパースターがドラフト候補7人を擁する強豪チームを抑えたとしたら凄いことです。
しかし、今回は吉田輝星が敗れたことはもっと大きなことを提示してくれたと思います。
夢物語は今の時代 待望されていますが、
このような問題提起を活かす事が今一番やるべきことでしょう。
ちなみに過去の甲子園球児の投球回数ランキングで2位は吉田輝希は 878球です。
1位 斎藤祐樹 948球
2位 吉田輝希 878球
3位 川口知哉 820球
7位 松坂大輔 767球
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