梶芽衣子の思い出・徹子の部屋
公開日:
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最終更新日:2018/06/26
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2018年6月26日の徹子の部屋は71才にして現役の女優で歌手の梶芽衣子がゲストです。
今年アルバム「追憶」をリリースし、ライブ活動など元気に活動する梶芽衣子の思い出がいろいろ語られます。
子どもの頃はとても内気だったこと。
変わることができたのは両親のおかげだとか。
女優の道に進む時、父から一言だけ声をかけられたという言葉は?
亡き父への想いは?
また、宝物にしている2つの品の思い出は?
1つは、女優・山田五十鈴さんから貰ったスカーフ。
もう1つは、俳優・小林桂樹さんから貰った小さな椅子。
それぞれの品にまつわる思い出に…
6月26日(火)12:00~12:30 テレビ朝日の「徹子の部屋」に出演いたします。
私が素敵な大先輩にいただいたスカーフと、あと大切な椅子の置物についても黒柳さんとお話ししてまいりました。
梶芽衣子 pic.twitter.com/ZNTxcEQdt7— 梶芽衣子(meiko kaji)公式 (@meikokaji_jp) 2018年6月23日
昔は内気だったという梶芽衣子
人と話すのも苦手で、学校でも隅のほうでひっそりしているタイプでした。
芸能界に入って初めて、私ってこんなに強かったんだって気づいて。自分で自分にびっくりですよ。
日活時代はジーパンをはいていました。
日活時代はジーパンをはいていました。
社長に呼ばれて女優らしい格好をしなさいと言われました。
経済的にもこれが一杯ですと言いました。
流行にこだわらないと37年前のvtr。
ジーパンを汚れさせるために車の後ろに吊るして走って痛ませたりしていたそうです。
徹子の部屋を見てきた梶芽衣子
徹子の部屋には画家や文人とか芸能人以外にいろんな人が出演してきました。
梶芽衣子は徹子の部屋が勉強になるのでずっと見ていたそうです。
日記にも書いてきたそうです。
黒柳徹子はそれを聞いてうれしかったそうです。
父の言葉
梶芽衣子の父は語学ができたのでアメリカで日本料理を教えたりしていました。
放任主義だった父が社会に出るとき唯一言ったのが「最初に就いた仕事は貫け」だった
言われたときはどういうことかいまいちピンとこなかったけど、「負けて勝つ」ってことなのかもな、って。
社会人一年生でなにもわからずなにもできない自分が、なけなしのプライドを誇示してもズタボロになっていくだけで、今はプライドを捨てて頑張るしかないって開き直るようにした。
そのことに気づけたのはよかったなあと思います。
すい臓がんで亡くなりました。
曽根佐紀心中で翔をもらったときに女優としてスタートラインに立てじゃないかと言われて胸に刺さりました。
節目節目で重い言葉を言われました。
梶 芽衣子
1947年3月24日 生まれの年齢 71歳になる女優・歌手。
両親は放任主義でした。
引っ込み思案なのを心配してスポーツをやらされたことで少し良くなったとか。
高校在学中にモデルデビュー。
映画「野良猫ロック」シリーズや「女囚さそり」シリーズなど1970年代に大ヒットした多数の映画に出演し、異彩を放つ演技で脚光を集めました。
当時は出演作の主題歌などで音楽活動も精力的に行っていました。
映画『女囚さそり』シリーズ挿入歌「怨み節」は120万枚の大ヒットで、日本有線大賞優秀賞も受賞しました。
2003年には彼女の熱狂的ファンであるクエンティン・タランティーノ監督が「キル・ビル」で梶の楽曲「修羅の花the flower of change」と「怨み節urami bushi」を使用したことでワールドワイドな注目を集めました。
この曲は世界最大規模のストリーミングサービスsportfyで無料で聴くことができます。
the flower of changeとurami bushiとsportfyアプリで検索してみてください。
若き日の梶 芽衣子の艶のある声がいいですね。
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2018年4月18日に43年ぶりとなるオリジナル・フルアルバム「追憶」をリリース。
若手時代から現代まで変わらぬスレンダー体型で、朝は300gのステーキを食べるのが元気の源とか。
梶芽衣子 ニューアルバム「追憶」告知MVhttps://t.co/lhwpA8SXHd
— 梶芽衣子(meiko kaji)公式 (@meikokaji_jp) 2018年3月5日
山田五十鈴
山田五十鈴は昭和期を代表する映画女優の1人。
1917年2月5日生まれ2012年7月9日(95歳没)
梶芽衣子とは30才以上の年の差だから母と娘ぐらいの開きがありますね。
山田五十鈴からはスカーフをもらいました。
鬼平シリーズをやっていた時に、猫ご飯が好きということで気が合ってスカーフをホテルに届けてくれたとか。
花もらったりかわいがってもらったそうです。
小林桂樹
1923年11月23日生まれ2010年9月16日 (86歳没)
東宝の「社長」シリーズをはじめ映画やテレビドラマ、舞台で幅広い役をこなした俳優
小林桂樹からは椅子をもらいました。
賞をもらった後で小林桂樹の映画に出たときに言われました。
主演女優賞をもらってもこういうところに出てくるあなたがいいんだよって言われました。
そのあとで椅子をもらいました。
独立して45年間やってきて厳しさも分かって芸能界に長く入れて今は感謝しかないと言います。
恨み節をロックにアレンジしてステージで歌ったシーンが出てきました。
今回リリースしたアルバム追憶はほとんどロックで、がんばれと言われているみたいでうれしくて
。
こびない、めげない、くじけないがモット―でやってきたとも。
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