*

山田洋次のサワコの朝・寅さんのこと考えている

公開日: : 最終更新日:2018/06/02 トレンド

家族とか2018年6月2日のサワコの朝は寅さんのことを今も考えているという映画監督の山田洋次がゲストです。

男はつらいよの寅さん映画シリーズは、松竹によって1969年(昭和44年)8月27日に第1作が公開され、1995年(平成7年)までに全48作が、1997年(平成9年)に特別編1本が製作されました。

映画シリーズ全48作の配給収入は464億3000万円、観客動員数は7957万3000人を記録しました。

当時の正月映画といえば男はつらいよの寅さん映画で家族揃って見に行ったりしました。

山田洋次監督はこんなの作りたいなぁ、と思っても渥美清さんがいない…」寅さんのことを今も考えている…。

山田洋次監督が語る“男はつらいよ”と映画への情熱とは?.


山田洋次監督



山田洋次監督は 1931年9月13日生まれの86歳です。

東京大学法学部を卒業後、松竹大船撮影所に入社しました。

1977年『幸せの黄色いハンカチ』で日本アカデミー最優秀監督賞・最優秀脚本賞を受賞『男はつらいよ』『学校』『家族はつらいよ』など数々の映画シリーズがヒット。

評論家や文化人の支持も高く、現役でもっとも多くキネマ旬報ベストテンに入賞した監督です。

若い頃はホームドラマの面白さもわからずバカにしていました。

若いころは小津監督の作品なんかは退屈な映画と思っていました。

松竹の監督なので脚本を書いていましたが、ある時先輩からどんなことを書いてもいいけどもやくざ者でも、近未来ものでもいいけど作品の根には家族関係をちゃんとおいておけよと言われました。

そうすれば脚本が落ち着くというのです。

映画の一番フレーム、骨格が親子とか家族とかである必要があるということです。

大島渚監督や篠田監督たちがどんどん活躍する中で山田監督は遅れていました。

僕は監督は無理だと思っていました。

何十人もスタッフを率いて高名な俳優なんかを厳しく指導したり、会社とは企画の問題で政治的な駆け引きしたりは無理だと思ってました。

でも助監督のままじゃ家族を養えないし、脚本家になろうと思いました。

脚本を書き続けるうちに脚本がかけるなら監督もできるんじゃないかということで

期待はされていなかったけど、やらされたのが「二階の他人」という映画でした。

映画館に行ってみてみたらスクリーンに自分が写っている気がしたといいます。


山田監督の代表作『男はつらいよ』は1969年(昭和44年)に第1作が公開され、48作まで続く空前の大ヒットを記録しました。

毎年お盆と暮れの興行は日本人の風物詩、国民的映画とまで言われました。

渥美清の晩年、体調が優れなくなってからは、年2回作られていた『男はつらいよ』シリーズを年1回に減らし、最終の第47作と第48作は、ドクターストップがあったものの無理に出演してもらいました。

振り返ってみれば家族の物語を一貫して描いてきました。

まだ1年に一本映画を撮っているとか。

現在は家族はつらいよ三作目が上映中です。


「男はつらいよ」50年前の制作秘話


1996年、第49作『寅次郎花へんろ』を準備中、渥美が死去し、シリーズは終了(打ち切り)を余儀なくされました。

それから20年たちますが、何がこんなに人を引き付けたのでしょうか。

自由にいられることが魅力だったのかなあ。

不自由に生きている人たちがあんな風に生きられたらなあと思ったのでしょう。


男をつらいよを撮るようになったきっかけは、渥美清主演の映画を作りたいという会社の方針がありました。

フジテレビの連続ドラマの脚本を山田監督が書いてそれがシリーズ26回になりました。

寅さんが最後に死んでしまうのがスゴイ評判が悪くて。

だんだん視聴率が上がってきて、殺さないともう1クールやってくれと言われそうになったからです。

13回で終わりと思っていたら、評判が良くてもう一回と言われて26回になりました。

そこで殺しました。

出演者が皆反対したそうです。

長山藍子が泣きながらどうしてそんなことするんですかと訴えてきたそうです。


作りてである僕は勝手に殺してはいけないんだ、もっと見る側の気持ちに立たなければいけないと思う良うになりました。

なので映画で復活させようと思いました。

そうすれば怒った人たちは勘弁してくれるだろうと思ったのです。

渥美清とは二日間ぐらいゆっくりと話しをしました。

それで渥美清を理解できた気がして、こんなキャラクターにしようと、的屋でフーテン暮らしで、時々帰ってくるとかわいい妹がいてという設定が生まれました。

渥美清は大変な記憶力の持主で自然に全部頭の中に入れてしまうから現場では台本は読まなかったそうです。

「第1作のときは、渥美さんとうまくいかなかった」といいます。

コメディアンはいろんなことをやって観客を笑わせます。

だからサービスが多くてアドリブが多いんです。

自分はそれは違うと思っていました、

僕の表現の世界があるからその通りやってほしいと思ってました。

それが一番典型的だったのはその取り直した場面でした。

さくらがひろしと結婚するってお兄ちゃんに言うシーンです。

山田監督はフィルム編集してみるとそのシーンが気に入らなくて

渥美清に「ともかく3~4秒だまっていてくれ、それからうんとうなづいてくれ」と頼みました。

俳優は意外と黙っていることが出来なくてしたくなると言います。

第二作はまた渥美清と勝負しなければいけないかと思っていたら、第二作の渥美清はガラッと変わっていました。

山田監督と仕事をするときはどうあるべきかがわかったのです。

山田監督は何てこの人は頭のいいひとなんだろうと思ったそうです。


9作目でおいちゃん役の森川信がなくなった時に変わる人がいないのでもうだめだと思ったそうです。

その時全国の独立の映画館主の組合の集まりに呼ばれていったら

我々は寅さんで飯を食っているんだ、何とか続けてくれとうわれたそうです。

そうかこの人たちの無効に大勢の観客がいるんだなと思いました。

渥美清に相談したらやりましょうといことになりました。
















スポンサードリンク

関連記事

岩田剛典のしいたけ占いのカウンセリング結果は?あっている仕事は?

2018年4月4日の「1周回って知らない話」に三代目J Soul Brothers岩田剛典が出演し

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク
no image
BUMP OF CHIKIN シリウスのMVでドローンを飛ばしたのは誰か?

2018年9月24日に配信リリースされた「シリウス」は、テレビアニメ「

no image
田川啓二のビーズ刺繍と黒柳の“宝物”・徹子の部屋

2018年度も黒柳徹子×田川啓二 コレクション もっとSU・TE・KI

no image
中村七之助の父勘三郎の思い出・徹子の部屋

2018年9月24日の徹子の部屋は35歳になった歌舞伎俳優・中村七之助

no image
千原せいじが透明ネズミの撮影に成功!!

剛腕お笑い芸人の千原せいじがテレビ番組ネクストブレイクで前代未聞の理研

no image
コレサワの期間限定音楽食堂はいつまで?お得情報は

2018年9月22日のバズリズムでコレサワコラボカフェの紹介をうしろシ

→もっと見る

PAGE TOP ↑